リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

演奏する際に籠める想い

ジャズには歌詞があったり、映画の主題歌なんかで曲に意味があるわけだが、演奏者が演奏する際にこれをどこまで意識するかは、それぞれ大きく異なる、、、…と、思われる。

 

こう言ったら何だが、私はまったくそういう想い入れを曲に対して入れてないことに今さら気付いた。純粋に楽曲に対するドラミングの対応に集中するのみで、曲の背景は一切演奏中や演奏の前後に想ってはいないのだ。曲のモチーフに対するエモーショナル的なものは全くなく、曲の純粋な旋律のみに感覚を委ねていることを認識した。

 

というのは、先週ヒロ川島氏のライブでピアニスト遠藤征志コーナーというピアノソロやピアノトリオを演奏する場があり、ここで遠藤氏が作って間もないオリジナル曲をベースやドラムと合わせたことはないが演奏したいともってきたことで、これに気付くことになった。

彼は東日本大震災での想いや身近で若くして病で亡くなってしまった方への想いで美しい旋律の曲をたくさん作っている。演奏を通して震災へのチャリティーなども積極的にやっているアーティストだ。その活動は私もよく知ってるし彼のその想いのCDも買って何度も聴いている。

 

先週演奏した彼のオリジナル曲は亡くなった方への想いであるというのを、演奏後に聞かされた。

 

 

遠藤氏は演奏前にその想いを私とベーシストに伝えようかと迷ったあげく、あえて伝えずに演奏に入ることにしたと。

 

演奏後に、彼からその想いを聞いて考えさせられた。

彼は強い想いをもって演奏している。ドラムとベースはその背景を一切意識することなく、旋律に集中している。もし事前にそれを聞いてたら演奏は変わったのかしら。。。

 

というようなことを考えたとき、私は今まで一切曲の背景を想い描きながら演奏したことはないことに気付いた次第。それがよいのか悪いのかはわからない。

リー・コニッツは同じようなことをインタビュー本で言ってたような気がする。エモーショナルなものはなく、自分はただ旋律に反応していく、みたいなことを。

 

演奏者ですらそういう状態であるわけで、オーディエンスはさらに個々人の想いで曲を聴くだろうし、いやー、音楽って面白いですね。