リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

エンターテイメントとしてのジャズ

一口にジャズと言ってもカテゴリーが広いのでジャズファンの好みも千差万別だ。

ジャズが好きです、という愛好家同士でも、ちゃんと話を聞いてみないと、それはジャズじゃないとか、それは嫌いだとか、好みが合わないことは多々ある。要するにジャズという言葉でくくる範囲が広すぎるわけで、ここに混乱の元があるとも言える。

 

私はyoutubeでの実験的音楽やフリージャズから、ちゃんとしたボーカルのステージまで、どういうわけか、いやありがたいことに多種類のジャズを演奏する機会を得れている。自分の中では伝統芸能的に繰り返されるある時代のジャズに対しては、いろいろ思うところもあるし、その演奏ばかりを続けることは本望ではない。

ただ、ジャズの性質上、そういう伝統芸能ステージの中にも自分なりの新しい解釈を少し付け加えることができるのがジャズの面白いところでもある。間奏の管楽器ソロのドラムの付け方に実験的試みをこっそり入れるようなことも可能というわけだ。

 

4、5年やっているアンディさんというボーカリストのバックはそんな感じで、曲もライブ演奏構成もMCも前もってきっちり決めてライブステージをこなすが、演奏者全員ルーズな目線をもっているので間はけっこういい加減というか自由な感覚満載で進行する。

お客さんからすると完全にエンターテイメントに見えるステージだが…。

 

いつも坊主頭の私は「昔マルコメみそのCMに出てた」、とか適当にウソ紹介されるのだが、それも含みでお客さんは楽しんでいる。あまりにもエンターテイメントに寄るのはがどうかと思うが、昨夜はライブ前にQBハウス行って3mm丸刈りにして臨んだ。ウケ狙いもある。

アート的に考えると、それでええんかいな?という疑問は大きいが、音楽の一要素であるエンターテイメントをどうとらえるかは難しいかな。

 

昨夜は自分で想うアート的な部分と少し反対側に寄っているような感覚もあるエンターテイメントのライブだったが、演奏途中にこのバンド独特のサウンドがあることに気付いた。若手新進気鋭アルトが音を締めてくれるのだが、ぶっといサウンドを出す安定のサラリーマン定年延長実行中ベーシストとジャズバードオーナー兼ウエイトレス兼ピアニストのミヨさんはスイング時代のピアノを知るもセンスよい音の入れ方をして、そういう組み合わせに私が入り独特のサウンドを醸し出しているように思えた。

 

バンドとして特定のサウンドを持つことは有意義ではあるなぁ。

 

一口にジャズと言っても、常時いろいろ考えさせられるもんです(笑)。

昨年のそのバンドのステージの一こま。

  ↓

 

ジャズのバラードドラムは面白い

先日、博多へ行った際、天神隣の赤坂にあるバックステージに寄った。知らないメンバーのライブに乱入させてもらうことになったが、例によって「何演奏したいですか?」と。

 

私が入る前の演奏がミディアムアップテンポだったので、「ではバラードはいかがですか?」とバラードを演奏することに。ドラマーがバラードやりましょうと言うと「え?」と言われることも多いが、バックステージのその時のピアノとベースがかなりおっさんだったので、今回は違和感なく「じゃあボディ&ソウルをやりましょうか」となった(笑)。

 

ジャズドラムにおけるバラードはブラシをこするだけで、何もやることない。

ジャズ初心者の頃はそう思っていた。また、スローすぎてどこ演奏しているのかわからなくなるようなこともよくあった。同じレベルのドラマーが「わからなくなったら、とりあえずシューっとこすっておいたらいいんだよ」と言ってたのもよく覚えている。

それは完全に間違いだったがw

 

先日の土曜日、バラードを演奏したとき、たまに楽しむ少しフリーのアプローチを演奏してみた。なかなか難しいが、自分の中で演奏へのチャレンジ性は高い。

 

 

あまりこのアプローチをするドラマーはいない。けっこう面白いと思うがどうなんだろうね。

楽器を粗末にする人はミュージシャンにあるなかれ

某有名トランぺッターのヒ・ノ・テ・ルが中学生だかの指導コンサートで、暴走した?ドラマーに往復ビンタかませて物議を醸しだした事件が公表された。後味が悪い。

 

動画はドラムソロの途中からと問題のシーンのみなので、経緯や本来どのような構成を予定していたのかはわからないが、意図せぬドラムソロは映画セッションと同じでもある。

 

セッションでは鬼教官フレッチャーが、何やってんだ、と怒鳴りながらもドラムソロの途中から音楽に入り込み、ドラマーといっしょにコントロールに入り、ビッグバンド全体の演奏を締める展開となる。

 

 

某トランぺッターは、まずスティックを取り上げ床に叩きつけて投げ捨て、それでも素手でソロを続けるドラマーに結果往復ビンタしてしまう。

 

ドラマーのふるまい、トランぺッターのふるまい、ここに焦点が当たるが、そもそもスティックは楽器である。消耗品に見えるかもしれないが、これの選定でシンバルの音はまったく違うものになるので、ドラマーからすると完全に楽器だ。

チップの削れ度合でも音が変わるので、気に入った左右のスティックを右用、左用とちゃんと分けていつも使ってたりする。

 

今回の件、ドラマーではなくトランぺッターがソロを永遠と吹いてて誰かがそれを制止したとして、トランペットからマウスピースをとって床に投げつけることをしたらどうだろうか。往復ビンタしてしまったトランぺッターが逆の立場でマウスピースを外されて床に叩きつけられたら烈火のごとく怒り狂うのではないだろうか。

 

ジャズなので、音楽を止めずに展開をコントロールできなかったのか、また、楽器を粗末にした認識はあるのか。。。

ここが音楽に関係ない学校の先生とかではなくミュージシャンがやってしまった行動というのが至極残念ということですね。

 

残念というか、ミュージシャンの端くれにもおけない人だったと彼は露呈してしまったのかもしれない。

出張行ってジャズ用事

この土曜日に昼の仕事の管理職研修とやらがあった。なんで土曜日やねん。。。

普段は部下とのやりとりでお留守にできないので土曜日に出てきなさいと。まあ、仕方ありませんなぁ。

 

月曜日に福岡出張で、日曜に関西で昼の仕事のスポーツ部の公式戦があったので、その応援に行くことにして、スティックを忍ばせた。

 

土曜日は研修終わってすぐ新幹線で大阪梅田へ。「いんたーぷれい8」に直行してセッション。昔のメンバーや初めて知りあう若手含めて面白く演奏。

 

日曜はスポーツ応援して夕方から泉大津から夜行フェリーで門司へ。

月曜日は昼の仕事で客先行く前に博多の有名医者ドラマーの医院へアポなしで行き、CD作ったので聴いてと渡してきた。たまたま患者がいなかったので、受付で医院長呼び出し「誰ですか?」と怪しまれながら。。。

 

医院兼住居兼ドラム事務室の建物だった。びっくり。事務室には3セットのドラムとピアノが。すごい環境だ。

 

昼の仕事の用事を終えて、夜は天神隣の赤坂にある「バックステージ」に。

知らないバンドが演奏しているハズだったが、トラのギターは25年前、大阪時代によくセッションしてたギタリストだった。定年で博多に戻ったとのこと。

 

2曲ほど乱入演奏させてもらって、ドラマーとわいわい会話して、店のマスターやその知り合ったドラマーに作ったCDを渡して近所のホテルに宿泊。日帰り出張なので、3泊自腹宿泊だが、1拍は実家、2拍目はフェリー(安価なので移動交通費に含まれる)、3拍目はカードのポイント駆使したが3000円の自腹。

 

ということで、安価に旅行をしてきたようなもんでした。

ライブお休み中

久々に丸3週間ライブがない状態。

休暇みたいに感じているのは、普段多すぎて半分飽きているということなのかもしれない。

 

明日から怒涛のライブだったが、昼の仕事の関係で2回はキャンセル(トラを入れた)。

 

来週は水曜日→土曜日と4連チャン。

体力的、体調的に連続は入れないようにと思いながら、カレンダーの都合でそうなってしまった。

ツイッターはジャズミュージシャンのフォローやフォロワーも多いが、まあみなさん精力的に日々ライブをやってること。感心してしまいます。

好きなんだろうなぁ、と思う。いや、私も20歳台のときは1曲でも多く演奏したくてしたくて仕方がなかったし、もっと上手くもっと上手くと思ってた。

ある程度出来るようになり、それなりのレベルのメンバーと共演したりするようになったから以前のようにより上位へみたいなものがなくなってしまったのかもしれない。自分の中でクリエイティブ性が低くなってしまったのかも。

 

というよりオリジナルで発想して何か作ってる方がかなりクリエイティブだったりする。

こんなのとか↓

 

 

もしかすると、バンドを主催すればいいのかな。やったことないが。

ちょっと考えてみよう。

何かを忘れそうになると岡本太郎に立ち返る

今住んでいるところの近くに岡本太郎美術館があるせいかどうか忘れたが、いつしか岡本太郎書物を読んで、その魅力に取りつかれた。

テレビで目を剥いて「芸術は爆発だ~」と言っていたコメディアンのような印象をもっていたのは私だけではないだろうが、こんな若くして達観し、頭のいい人はいないと感嘆したのが「今日の芸術」だ。

 

1954年刊行というから驚く。60年以上前。。。

 

音楽でも何でも創作活動をやっていると、どこかで「誰かにウケたい」とか認められたいというような感覚が出る。一方で新しいものをやりたい欲求がある。

 

「新しいとはどういうことか」

 

こういう問いに対して、明確な解説をしている。なぜ芸術が必要なのか、デタラメをやってみることの難しさなどもすごくテンポよい語り口で明確に解説している。芸術と芸能の違いなども混乱することはなくなる。

すごく面白いし、自分の活動がどこか迎合的になっているような気がするときに、この本に立ち返る。すると、忘れかけていた何かをいっぺんに思い出すような感覚がある。

 

何度読み返したことか。文庫本だけどボロボロですよw

 

youtubeでも何でも「いいね!」が付く時代。人間は不思議なもので、「いいね!」を求めてしまう。これは認められたい欲求が根本に備わっている、つまり社会的生活をするための基本が生命装置の中にインプットされている表われなんだろう。

ところが、「新しい」ということに対し、本当に新しいということは、誰もそれを最初は理解できないという解説がされる。最先端だとみなブーイング。というか酷い場合は無視。時代が進み、それがようやく価値がわかるときには作家は既にこの世にいない、ということも数多く起こってきているのは歴史が証明している。

 

そういうことを想うと「いいね!」がつく=みなが理解して現在の価値以上に新しくない、ということも言えるわけだ。これを考えたとき、youtubeで発表する作品は「よくないね!」がついたりチャンネル登録者が減ったりするのが「新しい」裏付けかもしれないとも思う。実際は本当にダメダメのことの方が多いだろうが、誰かに迎合という事態は避けれそうな気がする。

 

自分の中で「あれ、いいね!を求めてしまっていないか?」と思う際には、岡本太郎を読み返して状態を元に戻すようにしている。

 

 

 

 

ドラムマガジンの誌上ドラムコンテスト

リットーミュージックのリズム&ドラムマガジン、高校時代にドラムを始めたときにちょうど創刊号になった雑誌だ。通称ドラマガ。情報がなかった時代、いつも発売を心待ちにしていた。

 

先日実家に行ったら、ソノシートがたくさん出て来た。まったく記憶になかったが、ドラマガにちょこちょこ付録で付いてたのだ。ソノシートと親に言われて、ソノシートという言葉自体記憶のかなたからそれこそ30年ぶりぐらいに頭の中から出てきたのだが、薄っぺらいレコードのことだ。

リズムパターンなどが雑誌記事と連動してレコード盤で確認できるようになっていたのだ。

 

そのドラマガが25年ぐらい前からか誌上ドラムコンテストというのをやるようになった。その頃にはドラマガは買わなくなっていく頃だが、カセットテープに録音して送付するというコンテストだった。

 

たまたま一昨日ツイッターのレコメンドでドラマガが出てきて、誌上コンテスト開催中といのを知った。16回目だそうだ。カセットで応募する時代から時は過ぎ、youtubeにアップせよ、と。

今回から動画のみになったらしい。曲はクリック入りやサンプルやドラム抜きのものをウェブからダウンロード。ただ、雑誌を買わないで応募するのを防ぐ方法はアナログで、ドラマガについてる応募券をエントリーシートに貼って郵送すると。ここだけネット時代に追いついていませんねw。仕方ない方法だと思うけど。

 

エントリーするかどうかは別として、動画を作ってみた。

曲はツーバスドカドカでもフュージョンでも合うような曲調だが、まずブラシ使ってやろうと思い、せっかくなので全然違うアプローチで作ってみた。

 

 

さすがに無理があるフリー系のアプローチだけど、ドラムマニア向けにベードラのキックも画像を撮って付けておいたw

ほとんどのドラマーはきっちりテクニカルに叩くことに注力しているので、バッシングされるだろうなぁ。まあどうでもいいのだがw