リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

ということで、ジャズのCDを作ってみることにする(その3)

電子音でのジャズなどは発想としては既定路線だけど、ネットで日々youtube見てシーケンサーへの打ち込み用の譜面がないかと探しているとtranscriptionとして世界中のマニアが丁寧に有名ミュージシャンのソロを譜面にしたりしてアップしている。
元のCDの曲に作った譜面のどの位置を演奏しているかを丁寧に動画で記してくれている。

楽器演奏者にとって、めちゃ便利やん。

こうなるとネットは人類の共通の財産を置いておく場であると考えることができるわけだ。
その譜面をシーケンサーに打ち込む。
すると、ジャズジャイアンツのソロがシーケンサーにインポートされるわけだ。マイナスワンとして練習音源にすることもできるが、これを違う使い方をしてみるのを思いつく。

私が使っているシーケンサーはNATIVE INSTRUMENT社のMACSHINE STUDIOという製品で、ジョグダイヤルがついている。いろんな使い方が出来るが、再生演奏させながらあっちこっちに回して小節を飛ばすことができるわけ。
これがよくコンピューター制御できていて、元々再生演奏させながらクラブミュージックをコントロールするためのものなので、小節を飛ばしても1拍単位できっちりとビートは連続するのだ。ぶち切れにはならない。

おもろい。

これでランダムに演奏したものにドラムをつけるということを思いつく。
いいか悪いかわからないが、結局ドラムから見てジャズの合奏というのは、とくにフリージャズ系の場合出てくる相手の音にどう付けていくかになるので、シーケンサーにも付けれるハズという理屈だ。
しかもシーケンサージョグダイヤルをいじりながら演奏することは人間の手癖みたいなのとはかけはなれたフレーズが出てくる。
そこにドラムを付けるチャレンジとなる。

これはMACSHINE STUDIO買って2週間で作ってみた最初の動画。
 ↓

 


(つづく)

セッションに飽きる

ジャズを武者修行的にやってるときは、あちこちのセッションに行きそれこそ腕試しをした。

15年以上前の話だが、昼の仕事で大阪から東京に行った際にプロになりたいという大阪のドラマーと待ち合わせ二泊三日で5回セッションに参加するという強行日程をしたこともある。

20時開始と25時開始ダブルヘッダー、帰る日は21時すぎ最終新幹線に間に合うように参加みたいな。

 

同行したやつは昼の仕事がないのでよいが、こっちはヘロヘロ。最後は気持ち悪くなりキャンセルしたくもまだ携帯普及段階で同行者は持ってなかったから行くしかない。

東京はそこそこ名前出てるプロがセッションホスト務めることも多いので、勉強にもなり自分のレベル(通用レベル)も確認出来るわけだ。アカン、とか、なんとかなるかも、とか。

 

その後転職して東京に来てしまったわけだが、セッションに参加しているとプロアマ、セミプロといろいろ声かけてもらいライブが増えていった。

演奏機会が増えると、セッションから足が遠退く。昔は「やってやるぞ~」とセッションに向かったが、それがなくなるとだんだん退屈になる。

セッションのレベルにもよるが、得るものは少なくなっていってしまうのだ。しいて言えば自分が入った演奏が締まり完成度が高く共演者からも聴いてる人からも満足げな反応が返ってきて、うまくまとめれたかなと思うぐらいかしら…。

 

たまに誘われ顔出すこともあるが、昨夜もそんなわけで途中で失礼させていただいた。

「早起星人なので」、と言い訳して。

 

いや、実際毎日5:30起きで昼の仕事に行くのでホントなのだが。

ということで、ジャズのCDを作ってみることにする(その2)

CDを作ろうと、コンセプトを詰めて何を意味づけにするかをしっかり考えて文章にまとめようと思うと、それなりに思考が必要ということになる。
実は昼の仕事で散々やってるのと同じ。
トーリー、意味づけは何なんだ、何を狙うのか、、、と。部下にも常に問うし、経営からも問われる。社会の構造から言うと株主から問われるわけだ。

その話はいいとして、このデジタル時代にコンピューターのミュージックシーケンサーを使っていろいろ試した実験は何の意味があるのかをちゃんと考えてみることに。
元々シーケンサーを買おうと思ったのは、ドンスコドンスコの使い方でないジャズ的な使い方を試してみたかったのと、35年前にコンピューターミュージックの走りみたいな時代に少し触ってたというのを思い出したからだ。

35年の進化は凄かった。当たり前か。
当時100万円で憧れのPCM録音のドンカマ(リズムボックス)が、2、3万円のおもちゃシンセに全然劣るぐらいだからねぇ。

そんなこんなで、誰もシーケンサーをジャズ的には使ってないので、やってみようと思ったものの種類は以下。
・生演奏のようになるか
・新しいインプロヴィゼーションが出せるか
テクノサウンドがジャズに融合できるか

やっていくと思いついたのが以下。
初音ミクはジャズボーカルできるか
・有名ミュージシャンのソロを組み換えするとどうなるか
・電子音でフリージャズやるとどうなるか


(つづく)

ということで、ジャズのCDを作ってみることにする(その1)

私はレコーディングもしたことないし、そういう場に声がかかることもない。する気もないし、したいとも思わない。
そもそもこのネットで音楽聴くクラウド時代にCDか…?

と思ってたんだけど、シーケンサーとドラムでyoutube用に録音した演奏を大阪の「いんたーぷれい8」のマスターに送ったら、えらいウケてくれて、まとめてCDにしたら、と助言いただいた。

なるほど…。

 

 

時を同じくして、いつもいっしょに演奏しているトランぺッターの川島氏が「名刺代わりだよ」とライブ録音を集めてCDにまとめていた。

 

なるほど…。


確かに名刺代わりってのもいいね、と思いコンセプトを練り始めたのが今年入って2月ぐらい。曲足りないし、適当に入れても面白くないし、だいたい騒音のようなものも作ったりするし。。。

ということで、youtubeと違って映像のない音楽CDはどういうコンセプトで何をしようとしているかがわかりにくいだろうと、しっかりライナーノート、つまり解説をしっかり書こうと思い、一気に仕上げた。
テーマはネット、クラウド時代だからこそのインプロヴィゼーション(即興演奏)とは何であろうか、ということを題材に。

(つづく)

ライブ演奏中は瞑想っぽいことをやってるかも…

ビジネスマンで瞑想が流行っているらしい。

瞑想はしないが、迷走は常にしとるぞ。

 

私が参加しているジャズライブは、ちゃんと聴きたい人が集まって始まると静かになる場もちょこちょこある。

バンマスが何の曲やるかつぶやき、イントロが始まる。

バラードのときなんかは、ピアノの出すイントロを静かに聴き入り、ゆっくり呼吸する。雑念が入りそうになることも多いが、なるべく音だけに集中するように頭の中をもっていく。

そして、すーっと曲に入るタイミングを頭で考えるというより、自然に身体が動くような雰囲気に自分をもっていく。

 

ん、これって瞑想と似たようなことやってるかも。。。

 

常にパソコン見て、今だと移動中もスマホでニュースや情報、ビジネス関係をこまめにチェックして、、、というところから脱却して心を落ち着かせる活動をすると発想も豊かになるというらしいが、もしかすると演奏活動はそういう状況を作り出しているのかもしれない。

 

そう考えると、いい効用があるかもしれませんね。

真剣に手掛ける音楽と魂売ってやる音楽と

先日、私の大好きなプロミュージシャンとライブがあった。ちょっと押しかけてバンドに入れてもらったようなところもあるのだけど、その人は同じ店のチューニングが少し狂ったピアノとは思えないきれいなピッチで響かせる。ホント不思議だ。

 

ライブ終わってしゃべってたら店のオーナーが酔っぱらって鋭いことを歯に衣も着せずに聞いた。

 

「自分のバンドでコンサートやライブだけでは食えないよね」

 

そのピアニストはCMの曲や歌をやったり(国民のほとんどが実はよく耳にしてる)、ポップスの有名な方のバックバンドをやったりしている。

 

「手は抜かないけど、魂売って自分が趣向する音楽ではないものをやっている。自分のライブは赤字でも企画するし、チャージバックでやるし、みなそうだよ」

 

魂売って音楽はやらないけど、好きな音楽はやらずに普段はサラリーマンやってるパターンはどう見えるだろうか、と思ってしまった。昼の仕事では魂は売ってなくて、それはそれで面白みや社会貢献をかなり感じるとすれば、少なくとも魂は売らない。でも本当に音楽が3度の飯より好きであれば、昼の仕事は魂売ってる比率が高くなるかもしれない。

音楽は好きなものしか演奏しない場合、そこに注力するので新鮮さは趣味人的な方が高いことになるかもしれない。

でも、常に音楽に接している方が、例え魂売って演奏してても技量は格段に上がるようにも思うが、魂売って音楽をやりすぎると元に戻れないぐらいダメージ受けたりするだろうか。

 

このあたりの自分自身にどこまで正直に活動できるかは、その人にしかわからないし、外から見てるのとはまた違うもんな。有名ヒット曲を出したスターが、もうその曲歌いたくないのに、それを聴きたくて聴衆はかけつけるので、何十年も演奏せざるを得ない社会的要請状況に置かれるケースも多々あるし、これも魂そこになし、で演奏してるとも言えるのでしょうね。

 

難しいもんですね。。。( ^^) _旦~~

リーコニッツの本はジャズとは何かを考えるのに最適だった

知り合いベーシストから話を聞いて、リーコニッツの分厚い本を読んだ。

哲学者兼ジャズピアニストとの5年におよぶインタビューということで、ジャズの歴史と即興演奏とは何か、ということを子細に語られている。

 

ジャズをやっていると何か新しいものに挑戦しているような気がするが、長年やっていると本当に新しいことにトライしている人はほとんどいないことに気付く。

皆がやっていることはジャズジャイアンツのコピーなのだ。

みんな普通にチャーリーパーカーのコピーをしている。練習もそうだし、そのフレーズを演奏中に出すことはごく一般的だ。

 

これが、パーカーが生きていた時代に彼の最大の悩みであったことがあからさまに書かれている。「なぜ、みな俺の真似をして、それで商売するんだ」と。

本人の気持ちになってみろと、まで。

 

それだけ、すごいことをやったイノベーターだったわけだが、本人はそう見えるという視点はあまりにもなかったかもしれない。

リーコニッツは「準備された演奏」はインプロヴィゼーションではないと言う。なるほど、そうだと思う。自分が出来るかどうかは別としても、ここはずっと気になっていた部分であり自分なりに常に求めていたところでもあるので、すごく納得する部分であり、自分がどうあるべきかも少し見えたような気がする。

 

ジャズの本というとドラッグが、とか人生に焦点当たったのが多いが、この本は演奏内面なので演奏家はみな読むべきものでしょう。