4ビートに飽きてくる
先日ライブをやっていると香港の男性ボーカルアマチュアミュージシャンが遊びに来た。
たまに日本に来てセッションに参加しているらしく、アジアっぽくも太くメロウな素晴らしい美声の持ち主で数曲飛び入りで歌ってもらった。
日本語も上手でバンドメンバーといろいろ話をしてたのだが、香港はいい街だがジャズを演奏する場は皆無とのこと。
その日のベーシストがサラリーマン時代香港に行った際散々探したが、ジャズとかかげる店ではフィリピンバンドが8ビートでジョージアオンマイマインドとかを演奏してて、本格ジャズは高級ホテルラウンジにあるらしいが、完全にBGMとしてなのでライブではないし遊ぶという感覚はない。
香港ミュージシャンがセッション的にも生バンドで歌う場は一切ないとのこと。
日本に遊びに来るとジャズセッションに寄って楽しむらしい。
数年前にいっしょに演奏したアメリカ人ピアニストがデンバー出身で、そこにはジャズクラブは1軒もなく演奏機会はないと言ってた。
いわゆる4ビートのジャズが世界でこれほど演奏されているのは日本であり、東京というか関東圏は世界的にもたぶん稀な不思議な場所なんだと思う。ただ、そこで演奏されるジャズの95%は伝統芸能ジャズであり、この弊害が新たなチャレンジのジャズ発展的演奏が受け入れられない閉そく感があるとも思う。
先日、若手某ジャズ評論家がツイッターで日本の特異な状況が、ってツイッターで言ってたので上記状況の妙と弊害について絡んだら「その通りで、これはちゃんと解明しないと」とメッセージが来たw
私も演奏してて少し変わったアプローチをとると「それは違う」と共演ミュージシャンに言われることがある。
「ブレイキーの演奏聴いてないの?」と往年のレコード演奏をトレースしないと求めてるものと違うことを指摘されることもある。
ジャズは人間がアドリブをやるので先進的と思われ、面白いことにそういう発言をする人が「僕たち凄いでしょ、譜面もなしにアドリブするんだよ」とお客さんにアプローチしたりする。いやいややってることめちゃ古いでしょ。。。
こういう日本の同調圧力とか決められたことを皆で守るような文化的国民思考的圧力が、ジャズの場にも顔を出すわけだ。
そしてはみ出したことをやると、おかしいと指摘する。さらに外国のスターが新しいことをやると手放しで喜ぶ。たぶん戦後からこの風潮は未だ変化してない。
4ビートはワクワク感があるビートだし面白い。でもさすがにそこからの発展はある意味詰んでいるとも思う。
アメリカとヨーロッパはそれに対して別のアプローチで発展しているように感じる。ビートは違うがHipHopの中にジャズ的な同調の気持ちよさと裏切りの気持ちよさが交ったものが普通に試みられているのがアメリカでは普通だし、そこからジャズ的サウンドへの回帰はグラスパーを代表にあるとも思う。
欧州はフリーを美しくするようなものやクラシック、エレクトロニックとの融合みたいなものが多いような感じがする。
今更ながらHipHopなんかをつまみ聴きしていると余計4ビートのどん詰まり感を思ったりする。
ドラム的には最近の流行りである人力でのヨレたリズムなんかも面白く、そんなことを練習してみたりしている。
こんなの↓
もともとテープ編集やレコードターンテーブルでDJやる際に曲の繋ぎを合わせるときにリズムが微妙に狂っていくのをノリと捉えて、それを逆に人力で表現するテクニック?でもある。
ジャズが何か、もはや範囲があちこちとオーバーラップしてきているのが最近の潮流だとも思うが、ドラマー的にはジャズドラマーがアプローチしやすい領域かもしれない。何よりヨレたシンバルレガートに魅せられてきたのがジャズドラマーだから(笑)。