リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

言葉が人の感情に大きな影響を与える

あらためでだが、我々人間は言葉によって生きている。

頭の中で考えることは言語で考えているし、感情も想像もほぼ言葉で置き換えている。

 

先日、10年近く飼ってたチワワが突然ピンピンコロリで逝ってしまったのだが、ペット葬式を終えていつもお世話になっていた獣医のところにお礼に行った際「力不足ですいませんでした」と頭を下げられわず涙を流してしまった。

普段は予防接種なので多くて月1度通い、病気になったことはほとんどなかったので、死んじゃう当日にフラフラになっちゃったと持ち込んだ。

 

これだけ動物好きの人の転職だよなぁと毎回思うぐらい、来院する動物に対する愛情を感じる先生だったのだが、その真摯なもの言いに感嘆し涙腺も緩みまくってたので涙が出てしまったわけだ。

 

 

さて、言葉が詩となり歌があるのだが、どういうわけか私は昔から歌詞がまったく頭に入らない人なのだ。

普通にJポップ聴いててもリズムや楽曲はシビアに頭に入るのだが、歌詞はよほど注意していてもロストする。

なので、歌の歌詞の内容で感動することがないのだ。過去その経験もない。

あの歌はメロディと歌詞でなんとも素晴らしい、とかよく聞くが悲しいかな私にはダイレクトにはわからない。

 

ジャズの場合ボーカルは英語だし、さらにというか旋律や歌い回しの楽器としてのボーカルとして聴いているにすぎない。

歌詞が韻を踏んでいる英語の特徴も素晴らしいという人も多いが、そもそもその教養もないし、そもそも日本語だとしても歌詞が頭に入らないので、まったくもってその感情はない。

あるのはメロディとコードによる楽曲の雰囲気の解釈だけなのである。

 

リーコニッツもメロディをどう解釈するかだけで、そこに他のエモーショナルなものはないというようなことを言ってたので、ここに歌が生まれた背景や歌詞が自分のプレイに与える感情とは切り離れているタイプなんだろう。

キースジャレットトリオは曲の歌詞の意味をわかった上で演奏してる、とインタビューで読んだことあるので、少なからずプレイヤーが楽曲の背景に感情を入れて演奏しているわけだ。

 

そう考えると、ジャズで共演していてもプレイヤーのその曲に対しての感覚は、歌詞の深くまで入り込んで感情移入してたり、メロディの面白さだけを追っかけてたり、まあてんでバラバラなのかもしれませんね。

少なくとも私は言葉によって演奏に対して何らかの感情が入ることは皆無なのである。