いいね!中毒はわからんでもないが、お気を付けを
たまたまHNKの朝の情報番組でインスタを中心としたSNSの特集を見た。
「いいね!」を求めてどうインスタの世界観を作っていくのか、それの努力やフォロワーの売り買いがビジネスになっているレポートや、買ったフォロワーを見破るためのサービスをする企業など、なかなか面白かった。
というか、「いいね!」効力に気付いたのはフェイスブックだと思うが、またたく間に広がった。
youtubeは「ダメね!」ボタンもあって、それはそのままだが、「いいね!」はこうまで人間の承認欲求の強さというものを手軽な形で外に出した点では、すごい発明とも言えるかもしれない。
まあ、それを求める人のことは否定しないが、本末転倒も多く見受けられるのも事実。
「いいね!」を求めて生きているような人も大量発生しているわけだし。
ただ、音楽や芸術をやる人たちは「いいね!」を求めると誤るだろう。
アートは現代に対して問題提起するような側面があるわけで、そこに今までにない新しさを表現し、ゆえに現状の否定などが必ず入るものだ。
「いいね!」は現代の人たちに認められる、つまり新しくないということである。
ゴッホ展が開かれている。これは有名な事実だが当時ゴッホは周辺の絵描き仲間が集まるサロンでも全員に無視された。当時ぶっ飛んでいた画家からしてゴッホはわからなかったのだ。そして生涯に売れた絵は1枚で、弟が買ったというのは皆がよく知る話だ。
当時新しすぎて、時代が進んでから新しさの凄さが認められた例だが、真に「新しい」ものは現在だと無視されるか「ダメね!」がつくものの中から出るのだろう。
そう思うと真剣に作ったもので「ダメね!」を集めてやろうとyoutubeなどにアップするも、そういうのに限って以外と「いいね!」が集まる。「ダメね!」が先行するのもあるが、これは新しいを狙ったものでない動画なので、ちょっと違うんだなぁ。
(ダメね、が先行する動画)
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なかなか難しいもんです。
やり続けるともしかするとひょっとして何か出来るかもしれないが、それはわかりまへ~ん!