音楽はデータとなり人類の共有物となる
先日ECMミュージシャンと話をしてて、あのECMですらCDは売れなくなっていて方針を変更してネット配信も考えないといかんかも、という時代になっていると。
ネット配信してなくても、youtubeには多くのものがコピーされちゃう。
最近上陸したスポティファイを始め、ネット上の音楽配信は何といってもレコメンド機能が特徴でしょう。あなたと同じ好みはこの曲ですよ、とAIが判断してくれて、それはあまりハズレなくて逆に次々と知らない曲を紹介してくれる。
ただ、レコード、CDと大きく違うところがアルバムという概念がないことだ。
先週、大阪のフリージャズできるアマチュアジャズミュージシャンと会話しててその話になった。
CDは曲をポンポン飛ばして再生できるけど、レコード時代は曲の途中に針を落とすのはキズつけるリスクあるのでけっこう熟練技っぽいところがあり、大事にしているレコードはA面かB面は一旦針を落とすと最初から最後まで聴いた。
そのときの感覚で、曲の繋ぎ目を毎回楽しむという聴き方があった。前の曲が終わってからこの曲に入るところが好き、という感覚だ。
CD以降の人たちは、もはや理解しにくい感覚かもしれない。
そして、CDも意味がなくなりネット時代になると、音楽はwavとかmp3のファイルへ。つまりデータになってしまったのだ。
ファイルの中身は簡単に取り出せ、部分的にカットもできればエフェクトもかけれるし、スピードも変更できる。
人類が発行してきた全てのCDをmp3で128kbpsにすると20テラバイトらしい。2、3年前の話なので今はもうちょっと増えてるかもしれないけど、たった20テラ。
今、ビックカメラ等の量販店で2テラのハードディスクが1万円ちょい。10万円ちょいで人類すべてのきちんとした録音したものがお手元に。。。
そう考えると笑えるというか、お手元になくてもネットにあるからそれでいいやん、とまあクラウド時代ということですね。人類の共有物になったということです。
所有という概念がなくなりました。
同時にこの曲から次の曲に行く部分が好きなんだ、という感覚も失ったわけだけど、その感覚をなくすのは何かもったいないような気がする。。。