リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

まさかラジオで取り上げられるとは…

昨年、インディーズでCDを作った。

 

 

ひょんなことから20年ぶりに再開した大阪時代遊んでいたピアニストがもってたラジオコーナーで取り上げてくれた。

こんな機会が生まれるとは思わなかったが、面白いものです。

 

ということで、エアチェック(←死語)というかネット視聴をキャプチャーするかっこうで録音。

録音したものをSoundCloudでプライベートアップ

 

そのピアニストが学生のとき、私は社会人でジャズ始めたばかりだったが、変なオリジナル曲を演奏していた。

しょっちゅう夜中にジャズ談義をした仲でもあるので、彼はこのCDの意図も一発で理解してくれた。

 

そのことはラジオ放送聴けばわかり、20年会ってなくとも、お互い理解している不思議な感覚を覚えた。

 

「超問題作!」

 

こう言ってくれたことが一番嬉しく、まさに狙いでもあったわけだ。

ただ単に面白い奇抜な作りを試したわけではなく、ジャズのアドリブとは何か、などを問うものであっていろいろ考えさせられる内容だと解説してくれた。

 

とにかくありがたい出来ごとでした。

何の資格ももってないのですが

昼の仕事では、日々中途社員の採用面接も実施している。
IT関連でもあるので、応募者の履歴書には華やかな資格経歴が多く載る。

応用情報技術者
ネットワークスペシャリスト
・情報セキュリティマネジメント
オラクルマスター
・システム監査
などなど。

私は受験したことすらない…。

「出世できないぞ…、」
「資格は勉強したことの証だ…、」
「申込すらしていないってどういうこと?」

若いときは散々言われてきたし、まあその通りだと思う。
同僚に、「お前、基本の資格すらもっていないのはヤバいぞ…」と言われたのは1度や2度どころではない。

ところが、である。


私は転職をしてしまったが、最初に勤めていた大手技術関連大企業で事業部長クラスまでかなり出世した奴を見ると、バブル時代にバンドやっていた2つ下の後輩2人。
時はバブル時代。一人は入社式に何を間違えたのかロンドンブーツを履いてきた奴であり、もう一人はヘビメタボーカルとギターをやって会社のイベントライブで暴れてた奴だ。

それなりのポジションになると、真面目一辺倒ではない根底での性根の強さみたいなものが問われる。
少々のことに動じないのが必要な要件になるのだ。

優秀なプレイングの若手が主任や係長になるのは資格が役立つ。
課長はまったく別の要素が必要になるため、出来る係長は課長にはなれない。
企業としては課長ポジションを試してみる配置はするが、ダメだったらそこ止まりだ。
部長はそもそも社内や社外の人的交流の厚みが必要になる。
社内人脈は学校みたいなノリで人脈増やせるが、社外はそうはいかない。
その人に魅力がないとダメであり、その魅力は何らかのアクティブな社外活動によって培われていくしかない。

「会社潰れたらどうしよう」、なんて思う奴が上位にはアサインされるわけがないのが組織論なのである。

ジャズをやっていると、やたらと人脈が出来る。
セッションに行けば仲間は増えるし、プロもセミプロもアマチュアもお客さんも人の繋がりができていく。
これはすごく大きいことで、しかも共演すると性格含めていろいろ把握できてしまうので、何かあったときにお互い助け合いが出来るような感覚になる。
企業のみで活動していたら、金の切れ目以外にも立場の切れ目が縁の切れ目ということは当たり前だ。
例えば講演会なども多い業界で目立つ人でも、実際はその会社の冠を背負ってやっているので、会社代わったとか役職定年で違う会社に移籍した途端、前と同じような振る舞いは誰も相手にしなくなるケースは多々見て来た。
冷たいとかいう話ではなく、組織の役割として活動しているので、そこから外れると意味ないのは考えればわかることだ。
これを勘違いする人間も多い。

ミュージシャンはアマチュアでも単体固有のミュージシャンだ。
固定バンドを組むジャンルではないジャズの場合はとくに個人が基本だ。
活動は個人なので、組織の役割ではない。組織のポジションとして活動するわけではない。
つまり人脈はずっと活きるわけだ。

ジャズの一つの特徴と思うのだが、ジャズ好きなお客さんはこだわりがある教養の持ち主も多いので、積極的に関わっていくとそこそこ輪は広がる。私は昼の仕事ではギャーギャーしゃべらざるを得ないこともあるので、ジャズの現場ではどちらかと言うとけっこうおとなしくひっそりしている。
でもお客さんから声がかかると、それなりにしゃべるので、しゃべると濃いなぁと思われているかもしれない。
お客さんはいろんな業界の人もいるので、観察して会話していると不思議と知見も溜まる。

企業では出世するためにせっせと異業種交流会に出かける人も多いが、ジャズクラブでライブをやっていると常に異業種交流会に参加しているように思えるのも事実だ。

お客さんの中には長年の衆議院秘書で仲良くなった方もいる。
議員会館に気軽に入れるし、永田町の中の人としての見え方もダイレクトに知ることもできる。
昼の仕事には一切利用しないけど(笑)。

またジャズはその場での臨機応変の対応力やアイデア力、仕切り力、予定調和力、よい意味での裏切り力が求められる。
昼の仕事、企業活動では日々様々な答えのない問題解決をしているようなものだ。
ジャズを演奏する上での頭のトレーニングが活きているのではないかと考えることも多い。

まあ、そんなこんなで若い時はまったく関係ないと思っていた昼の仕事とジャズミュージシャン仕事も、なんとなく関連して実は相互にかなり影響を与えているように確信していくのが面白いとこですね。


最初の話に戻すと、資格坊主でも昼の仕事で渡り歩ける方法はあるかも…、と言っておきましょう、若い企業人のみなさま!

エフェクト系シンバルを買ってみた

最近の新しい系ジャズというか、ドラムはシンバルメーカーもたくさんあるしドラムセットも多くの選択肢があるし、パーカッションと合わせたような使い方も多く見られるし、ここ10年ぐらいでようやくトラディショナルなものが変化してきたようなところがある。

 

シンバルに関して言うと、35年前はジルジャン、パイステしかなかった(自分記憶)。

 

その後セイビアンというメーカーが出てきて、イスタンブールというトルコで製造するハンドメイドオンリーのメーカーが出てきて、ボスフォラス、他いろいろ活況に。

ダーク系でジャズに合うものから、そのうちエフェクト系という穴の開いたものも登場した。カシャっというようなサウンドが特徴だ。

 

先日の日曜にツイッターを見ていると大手楽器やのドラム専門店が1日限りのバーゲンとして、長蛇の列に整理券を配っている写真があった。店のサイトを見ると、中古品やドラムヘッドなどかなり安価に出ていた。

 

整理券もらって行くほどのものでもないかと、夕方閉店も近づくときにアキバまで1時間かけて行った。

既に客は少なく、ネットに出ていたエフェクトシンバル3枚はそのまま残っていた。

スティックを持参したので、試奏させてもらい、カリスマ定員とかいう人にエフェクトシンバルの歴史を少し確認して、定価も確認し(笑)、ハイハットとクラッシュシンバルを買った。

 

 

パイステは通常価格が高いが、エフェクトシンバルは後出ししたメーカーだから、このシリーズは元々安価とのこと。

しかし、自分自身がパイステを買うとになるとは考えてもなかったなぁ。

 

今度、練習スタジオで試して、ジャズクラブでも使ってやろうと思っている。

自作CDがオンエア?

すっかり忘れていた。

 

35年ぐらい前に、アマチュアジャムセッションでいつも遊んでいた当時学生の上手いピアニストと昨年9月に久々に会ったとき、自分がもっているラジオ番組でこのCDかけるよ、と言ってたのだ。

 

彼はプロのピアニストとして関西で活躍中なのだが、たぶんだいぶ前から1時間枠のラジオのパーソナリティ仕事もやっている。

 

著作権とは何か、を半分皮肉ネタにしたようなCDでもあるので、公共の電波に乗せて大丈夫かいなと思うものの、プロデューサーとそこは会話するからと言ってたので、落ち着くところになったのでしょう。

 

まあそれにしても、自分が手がけたものがラジオ波で流れるとは考えたこともなかったので、面白いよねぇ。

 

私は自分のCD含めて音楽活動をマネタイズのために積極的に動くつもりもないし、その気もさらさらないし、そもそもそれに力を注ぎ出した瞬間に創作物は何かに媚びるようになり迎合するようになると考えるので論外なのだが、紹介いただけることは素直に嬉しい。

 

とある有名な芸術家兼大学の先生の授業で、「学内に捨ててあるものを拾ってきて、それをいかにも考え抜いた芸術作品であるとしてプレゼンしなさい」というのがあったらしい。で、芸術とはそんなもんだと。

何かの作品があったとして、そのモノと、それを説明するコンテキストみたいなものが評論家(画廊やプロデューサーということもある)が評して、その言葉を読んで聞いて「これはたいそうなものだ。価値あるものだ」と大衆が信じて、結果そこに金銭的価値が発生していくのがたいていの流れだ。

 

ラジオで流れました~!

 

そう言えば、先般アルバムを出したジャズマンが自身のアルバムの紹介の際にそれを言っていた。

ラジオも雑誌も、何らかのメディアに載るということは、それ自体が評価されたことにも繋がり…、ってことだ。

 

まあそういうことだが、世はネット時代なのでそこでソースを勝手に観て聴いて自分のみで判断しろ、ってのが出来るような環境になっているので、評価されようとするより勝手にしろ、と創作するのがよいように思うわけであります。

 

(勝手な創作例)

コンサートスタッフをやってみて

ということで、何がということか意味はないが、ドイツから帰国した今度メジャージャズレーベルからリーダーアルバム出すドラマーが日本でのコンサートのためにドラムを貸してくれということで、二つ返事で手伝ってきた。

 

ボサノバ有名日本人ギタリストとピアニストとドラマーという変則トリオ。

最初、ローソンチケットでチケットを買っていたのだが、ドラム貸す=スタッフとして入ることになるので、チケットは昼の仕事仲間でこの手の音楽が好きな人にあげた。

 

人のコンサートだが、ドラムを持っていかないとアカンということは風邪ひけないな、と気合を入れて当日を迎えた。

心配性でもあるので、持っている手持ちのスタンドは超軽量なので、いつも行くドラムショップでハードウェアだけ借りることに。

 

コンサートは100名キャパで満席。

ギターのみアンプ通して、アコースティックでほどよい音圧が出るすごくいいサウンドだった。ピアノはスタインウェイのでかいグランド。

ドラムは私の少し前の年代のグレッチなので、音の相性はよかった。

リハから全行程演奏者とブッキングマネージャーやらスタッフと過ごして、オーディエンスも静かに聴いて大満足。

 

 

さて、打ち上げ。

 

 

集った方々は演奏者と日本のジャズレーベルを主催しているブッキングマネージャー、ジャズライター、ギター工房の兄ちゃん、他に関係者もろもろ。

ヨーロッパのレーベルとそれを日本で取り扱う代理店レーベルの話、ネット時代でのマーケティングで混乱している話、どうやって世に売り込んでいくかの作戦の話、メディアへの露出とそれをやっていく役割分担、レコ発ライブと合わないCDリリースタイミングをどう訂正するかの誰にどう何を言わせての動き方の話、、、

 

一言で言うと、業界の話ってことになるのか。。。

 

でも、、むむむ…、なにか違和感が。。。

 

 

音楽を創り上げるのはリーダーであるミュージシャンの純粋な意志があってそこへ向かうのだが、そこから先は完全に資本主義社会の動き方になってしまい、ミュージシャン含めてフリーな方々なのに話を聞いていると会社員の社内での会話と何も変わらないという感じがどんどんしてきて、何だか妙な気分になったのだ。

 

食うためにはどう動くべきか、どう有利に機会を利用していくかになるのだが、ミュージシャンのようなフリーランスの方々も資本主義社会の一員となって儲けていく=売れていくために考えて活動していく様は会社員がどう営業して成績伸ばそうかという作戦会議と瓜二つであり、結局そこにみなが巻き込まれていく商業主義と言うか、そうせざるを得ない構造について少し考えてしまった。

 

確かにそうやって売れていく過程の作戦は考えて動いて結果が出たり出なかったり含めて面白いのは理解する。

でも、その面白さは会社員として営業して自社の製品やサービスを作戦考えて動いて結果が出たり出なかったりというプロセスとまったく同じなのだ。

 

つまり、本来の自身で創作をする芸術活動の「血湧き肉躍る」と、売れていく過程の「血湧き肉躍る」は別物なのだ。

芸術活動は自身で考えたことを勝手にやる。評価されようがされまいが関係ない。勝手にやりたいからやり、何かを世に問う。

売れていく活動は売れていくために多くの関係者の意見も聞き、自身が思ってない評価もされ、自分の意志と違うところに動かざるを得なくなったり、売れるために意図せぬ修正を飲まねばならないことがほとんどだろう。

そうなると純粋な芸術ではなくなり、どこか誰かに合わせたり何かに迎合したりすることを避けるのはほぼ不可能かもしれない。

 

「芸術は無条件、無償でないといけない」

これを生涯徹した岡本太郎をまた思い出し、芸術活動の「血湧き肉躍る」と、売れていく過程の「血湧き肉躍る」を同じものでやることと別のものでやることの果たしてどちらが純粋なのかを考えてしまうのでした。

ジャズマンとテクノロジー

ジャズマンは楽器テクノロジーにはほとんどの人が疎い。


テクノロジーに全て疎いアナログ人間というわけではなく、譜面テクノロジーにはジャズマンはかなり強い。
数々のスタンダードを分厚い譜面をメンバー分用意いなくてよいスマホタブレットの譜面アプリはみな飛びついた。
年配のアマチュア、セミプロジャズミュージシャンもみな譜面アプリは必須となっている。ただしドラマー以外w


コード進行と、それに乗せて楽器でソロをとることに最大の喜びを見出す方々にとっては譜面はもっとも重要視するツールである。
逆にプロで譜面を一切見ずに暗譜が基本だという人は譜面テクノロジーは関係ない。

ただし、譜面テクノロジーには新しい音楽はない。新しいサウンドもない。
懐かしさと楽器演奏対応力だ。
いい音楽がないと言ってるわけではないよ。美しいサウンドと素晴らしい旋律やタイミングなどはある。
グッと来るものもありオーディエンスも喜ぶが、新しい音はない。

楽器というものはテクノロジーとともに進化していく。
現在だともちろんコンピューターでありデジタルだ。

古きよきジャズ愛好家と会話するとデジタルの新しい音はダメだよ。アナログこそ、って言うだろう。

でもピアノが発明された時も、オーケストラで各楽器が単音一つづつ音を繋ぎ合わせるのに、一遍に和音を出す楽器は技術的にすごいかもしれないがダメだろう、って年配連中は言ってたハズだ。
そう、我々は同じ轡を踏むわけだ。
「今時の若い連中はテクノロジーを使って云々、けしからん。ありゃダメだ、味がない…」と。

新製品群のレビューを掲載する雑誌のウェブサイトがある。
もはや楽器なのか何かもわからないものも多い。面白いよ…。
新しい音はこういうのから生まれることが多いハズだ。

 

今時の演奏スタイルはこれなんでしょう。

 

スイングジャズが不良音楽で新しかったとき、若者がこぞって踊っていたが、それは音楽が新しい音であり、刺激だったから。

現代版はこういうこと↑になっている、とそれだけの話でしょう。若者が大挙して集まり踊っているよ。

 

繰り返して言おう。

 

こんなのは楽器ではない!

 

と言う人は多いと思うけど、弦楽器時代にピアノが発明されたとき、押せば安定した音階が鳴り、一人の奏者で和音まで出せるピアノという新しい機械のような楽器は「こんなのは楽器ではない!」、「味がまったくない」と言われてたハズなのだ。

その理屈を理解して、新しいサウンドも聴き、そのよさも自分なりに解釈して古い楽器演奏に戻ると、新しい解釈が出るかもしれないよ。

 

ちなみに最近の若手ジャズドラマーで新しいセンスを出す方々は、DJやクラブ音楽、ヒップホップも乗り越えてきているからそうなるわけだ。

だとすると、やはりジャズマンも新しい楽器テクノロジーには触れておかないと伝統芸能の範囲から脱しないことになるのでは?

苦手なお正月

なんか、大晦日から正月にかけての切り替わりの雰囲気が好きになれない。

 

紅白がわーっと終わった後の番組「ゆく年くる年」の静寂から「ゴーン」のギャップは大好きなのだが、年末のお笑い番組、正月のお笑い番組箱根駅伝とまあ毎年こうも変化ない年の切り替わりに対して疑問をもつわけだ。

 

この感じる雰囲気は多分にテレビの影響だろう。

 

年が明けたといってなんか年の瀬の気分から新たな気分に切り替わってる感じは、外部で誰かが構成して作っていく気分に自身が多大な影響を受動的に受けているにすぎないのだと思う。

 

というひねくれた感じから少し脱すべき、大晦日の夕方にスタジオ入り音とビデオを録り、夜に紅白とダウンタウンのTVが鳴っているところ、ヘッドホンしながら動画編集をしてみた。少し前に思いついたサンバリズムでフリーを演してみる試みだw

 

 

大晦日から年明けにかけてアップロードしたのだが、確かに普段の日常と同じような過ごし方をわざとしてみると、年越しの雰囲気は薄まった。長女が帰省してこず、末っ子が受験のため大晦日も元旦も塾だったことも手伝い、少しは正月の雰囲気を脱してみれたかもしれない。年賀状は数年前に勝手に廃止しており、ピーク時100枚近かったものが数枚来るのみとなり、それによる影響はすでにない。

 

そんなこんなでまた昼の仕事と夜のライブ生活が繰り返されていくのだが、それでよいのかというのはずっと頭の中にあり、どう変化をつけて新たなものにチャレンジしていくのかは日々考えることにしよう。