ドラムレッスンプロにレッスン
2年前の話だが、youtubeからあちこちたどってメアドを見つけて一度レッスンしてほしいと連絡が来た。
youtube上でフランス人がレッスンしてくれと言ってきたこともあったが日本人でそこまでしてたどってきたので「こんな私でよければ」と話を進めることにした。
聞くと関西で日々音楽教室で教えているドラム講師業の兄ちゃんだった。
昼の仕事の出張と重ねて、では休みの日に梅田のスタジオに入ろうという話をまとめた。
ただし条件を一つだけつけた。
スタジオ代を割勘にすること!
レッスン料を払うと言うのだが、それは認めないことを条件とした。
8月、とにかく暑いカンカン照りの日にスタジオに行くと、ちょい遅れで彼はやってきた。「遅刻したからめちゃ怒られると思いました」とw
彼のドラミングはすごくシャープでキレッキレ。
ただ、ジャズの世界は丸い音を出さないといけないので、そのあたりを私が思っている範囲で語り叩いてみて、まあレッスンというか共にスタジオ入って遊んだというかっこうにした。
レッスンプロというのがどういう職業形態なのか詳しく知らなかったので、終わった後にコーヒー飲みながら雑談をした。
学校側からレッスンプロは生徒を回してもらい、それをどれだけ多く担当するかで実入りが決まるという、なるほどそういう構図ということがわかった。
でもライブとか自分のバンドとかで演奏活動しないの?
レッスンプロが売れて(売れるというのはレッスン仕事がたくさん回るということ)くると、逆にライブを入れにくくなっちゃうと。
たしかに…。それもわかる。
個人で教室を開いていると、わがまま調整も可能かもしれないが、音楽教室であればレッスンあるからライブそこ引き受けられません、ってのはライブ演奏したいのであれば辛い状況だ。
レッスン需要も社会人などを相手にしていると夜がメインになるだろうし、そうするとライブ演奏活動とは相いれないことになってしまう。
昼に全然違う仕事をしている私の方がはるかにお客さん相手にジャズクラブで演奏しているというパラドックス。
教えるのも楽しい仕事なので、本人の優先順位の話にはなるが、なかなか難しい話ですなぁ、と思った次第。
音楽が様々なカテゴリーの人を繋ぐ
ドラムを始めたのは高校1年の時。
最初は全然ジャズではなく、テクノのYMOから音楽に入ったが、高校で周辺でコピーされていたバンドは甲斐バンドであり、はましょーであり、少し高度になるとTOTOであり、というロックだった。
瀬戸内海に面し、新幹線こだま停車駅から普通列車で20分、そこから4kmというド田舎だったので、そもそも高校は1つしかない状態だった。
都会と違い、そういうロケーションでは一つの高校に頭のいい奴から不良まで集まるのだ。トップは毎年東大か京大に一人入る。アホは警察沙汰で毎年数名が退学になるという状態。
今は知らないが当時は成績順で1組から8組まで並べていた。正確に言うと1~3組が理系で3組は理系でも少しダメ。4組からの文系はどんどん悲惨になり、なぜか8組は渡り廊下を渡った少し隔離された場所に位置していた。
体育の先生が常時竹刀もってウロウロしていたので崩壊するようなことはなかったが、とくに先輩学年の8組なんかは危険すぎて1~3組の人間は行ってはいけないエリアだった。
高校2年のとき、私は理系の2組。まあけっこう真面目ちゃんだったのだ。
そして3年8組の一番の不良連中がバンドで文化祭出るためにドラムを探して私に声をかけてきた。二つ返事でOKして、ブラスバンド部が手掛けていた文化祭出るためのオーディションも裏から操作してアンフェアに不良バンドを通してやった。甲斐バンドコピーバンドだ(笑)。
練習場所は3年8組だった。
みな教室で普通にタバコ吸ってて女子は厚化粧しているという、とても同じ学校とは思えない場所がそこにあった。
その先輩不良連中にからまれて殴られたクラスメイトも何人かいる状態で、あんな連中と付き合うなと散々忠告されたが、臆せずに場違いな3年8組みに毎日顔出すことに。
不良とはいえ音楽に興味をもった連中、文化祭は成功させたいし練習は真面目にやるわけだし、私が教室に行くとタバコ吸ってる奴らが「ちょっと吸うの今やめろ」とか言って気を遣うのが可愛らしい。
「別にいいですよ、タバコ」とか私も気にせずに返してた。
真面目な身なりの理系の私が不良の巣窟に毎日行くもんだから面白い。
クラスメイトが警戒する不良先輩が全員私の仲間になってしまったのだ。髪を油でまとめた強面連中が全校集会とかで私にニコニコして「やあやあ」と寄ってくる。周りはビビる。
理系の人達は不良に警戒しながら学校生活をしていたのだが、私は番長連中の後ろ盾ができてしまい妙な感じだったのである。
文化祭はみな緊張したけど体育館でのライブは大盛り上がりで不良を取り締まる先生連中も見守ってくれた感がある。
普通だと絶対に交らないようなカテゴリーの先輩後輩がロックバンドで一緒の目標に向かって繋がる体験をしたのは案外と大きな出来ごとだったのかもしれない、今思うと。
今住んでいるエリアは中学お受験も盛んなところで、道を隔てると学力高いと言われる小中学校エリアだ。
なんやかんやと理由つけて越境させる親も多いし、うちのガキが通うエリアの中学は「ちょっとあそこは…」、と何度かそれとなしに言われたこともある。何より校区が異なることでマンションの値段が500万円違うから、無理して越境させる人の気持ちもわからなくもない。
…が、私は迷わず逆に越境してでも不良がいるところに行けと子供らを悪いと言われるエリア(今はかなり真面目で荒れたりはしてないけど)に通わせた。
粒揃いより、いろんな奴が交る方が何かと得るものはあるハズだから。。。
ジャズマンはアナログなのでyoutubeアップとかやる人は少ない
先日のライブ、初めてお会いした女性ピアニストだったが、youtubeへのアップ方法とかがわからないと言ってた。
別に私が頻繁にアップしているとかは話題にしなかったので、それも知らないとは思うが、まあそういう会話になることは多い気がする。
そう思ってyoutubeで「ジャズドラム」と検索してみると、けっこう自分の動画が出る。
ユーチューバーだとこれは嬉しい事実なんだろうが、それを狙っているわけでもないので、上位から軒並み「非公開」設定に変更してみた。
先ほど変更したばかりなので、反映までどのぐらい時間かかるかわからないものの、少し観察してみよう。
SEO対策の逆みたいな行動ではありますw
しかし、ジャズをほどよく演奏するセンスがあれば、絵をやっても何かパソコンで作ってもそれなりに出来るように思うけど、どうなんでしょうね?
若手ジャズマンでデジタル機材も使う人は、そこそこ動画とかもセンスよく作ってるようにも思う。
確かに編集とかメンドクサイですが、やってみると面白いとは思いますが。。。
公開は恥ずかしいというのもあるし、わからんでもない。
でもそうであればライブとか人前で演奏するのも恥ずかしいという言い方もできるわけでw
CDというパッケージ
夏前にひょんなことからCDを作って、まあ名刺代わりに配っている。
ちゃんと売ろうとして、最初はきちんと販売していたのだが、グダグダになってしまったのだ。
大きな原因の一つは横流し品が早々に出てしまったこと。
しょっちゅう出演している某ジャズの店にCD販売分として少しまとめた枚数を預けていたのだが、ママが勝手に知り合いミュージシャン複数人に「ブッチー、こんなの作ったのよ、聴いてみて」と渡してしまっていたのだ(笑)。
私は社会人ミュージシャン(昼の仕事しながら夜ジャズクラブでギャラもらって演奏しているミュージシャン)には知り合い全員に押し売りしてやろうと思ってたら、軒並み「聴いたよ、面白いことやるねぇ、すごいパワーだよね」と。
「ええ? 誰からCD借りたんですか?」
「ママにもらったよ」
おっと…。
まあ、そんな感じで最初のきちっと販売する目論見は崩れてしまったのだ。そうするとマズいのがちゃんと販売してしまった人に対するアンフェア性なのだ。
「オレはちゃんと買ったけど」
そう言ってきた人もいたが、、、
かと言って返金するのもおかしいし、1000円なので返金を求めてくるものでもない。
そう、実に中途半端な状態になってしまったのだ。
というグダグダなんだけど、こうなったら興味持つ人には差し上げる作戦で行くしかない、とすっきりしない判断。
今月、知り合いのプロミュージシャン2人から手売りのCDを買った。2000円だ。だいたい相場はそのぐらいだ。
ラジオで流れることもあったりするらしいが、ジャンルもジャンルだし、まあ売れることはないだろう。みなさん、かなり在庫の山に苦労するらしい。
音が溢れているこの時代今さらCDを買う人も少ないし、作るのも簡単だから大量にインディーズも製作されていくからねぇ。
一方でネットでは多くの無料動画が視聴されていくわけだし。
人の耳に触れさすのは圧倒的にネットが有利だ。
youtubeなどがAIにより、関連作品はレコメンドしてくれるので、似たような趣向の人の目に留まる可能性は高い。
CDの場合は物理媒体なので、その人に届けるのは至難の技であり、極めて非効率なのだ。
Jポップなんかは以下の流れだ。
(1)アマチュアがライブ
↓
(2)ライブ行った人がインスタでアップ
↓
(3)バンド演奏動画をyoutubeにアップ
↓
(4)似たような趣向の動画からレコメンドで見られる
↓
(5)興味もった人がライブ探して行く
↓
(6)手売りインディーズCDを買う
これを繰り返して大きくなって有名になっていく
うちの娘(大学3年)はインディーズ発掘目利き能力があるみたいで、ししゃもとかあの手のそこそこ有名になったシンプル編成のガールズロックバンドをかなりマイナーなときに見つけて、まだ下北沢とかの小さいライブハウスでやっているようなときにせっせと足を運んでいる。
当時1000円の手売りCDが10000円で売れた~、とかよくやっており、話を聞くと上記流れであることがよくわかる。
あんたはどうやって新しい音楽を発見してファンになっていくのだ?と聞くと「youtubeのレコメンドだよ」と。
最近の子はインスタで見つけ、ツイッターで確認し、もはやググることもしなくなっているのだ。これは私の昼のIT系の仕事で20代前半の女子にも確認したので、大学生の娘の行動とも合っている。まあ、そういうことだろう。
さてさて、ところで、ジャズみたいなジャンルの場合はそうはいかない。
インスタアップするような年齢層のお客はほぼ皆無だし(FBはいるけど)、youtubeでマイナーなミュージシャンも見るのは演奏する上でのヒント情報を求めているビッグバンドやっている大学生の楽器演奏者が主であるハズだからだ。
で、たいていのジャズ演奏のみの動画は特徴ある世界的大御所ミュージシャン以外は誰かのフォロー演奏のようになるので語弊ある言い方をすると正直面白くない。
なのでJポップのインディーズからメジャーに向かっていくシーンのようなCD販売までの流れは作れない。
だとするとCDはアート的な閉じ込めツールとなるしかないわけだ。
CDのパッケージは画廊と同じような役割になるのだろう。
有名レーベルは有名プロデューサーの耳に適うという点で箔が付く。お墨付きが付く。このアーティストは芸術であるという証明だ。
有名画廊が画廊側企画で個展するのと同じだ。
インディーズCDは貸画廊だろう。たまに面白いと話題になることもある、…かもしれないがジャズジャンルでは皆無だろう。
だとすれば、名刺代わりに配布するしかないのだ。
ただ、CDは閉じ込めたパッケージとして、単品のyoutubeなどではないものは伝えることは出来る。
商業ではなく芸術として捉えると、腑に落ちる。
「芸術が商品になるのはイヤだね。 無償、無条件なんだよ」
と言ったのは岡本太郎。
そうやってCD全体を作品と捉えると面白くもある。
アートワークとしてその人の主張がコンパクトに閉じ込められるパッケージとなるわけだ。
サウンドもそうだけど、ジャケット、配色、ライナーノート、全体としてその人(バンド)の主張のまとめとなる。
その買った2枚のCDより、私のジャケットのアートワークの方が確実に優れている、とも思った。
昔CGやっててデザインコンテストで優勝したりしたこともある(←大賞で100万円もらったこともあるのですよ)ので、昔とった杵柄というか、多少は活かせているかもしれない。
サウンドは好みがあるのでコメントしないが、「なんじゃこれ」を新規性とするのであれば私に分があるかな?
知り合ったミュージシャンがCD手売りしている場合、かなり買うようにしているけど、正直面白いと思ったりオリジナリティを感じることはかなり少ない。
まあそんなことをあらためて思った次第。
これからも興味ある人にせっせとお渡しすることにしよう。
言葉が人の感情に大きな影響を与える
あらためでだが、我々人間は言葉によって生きている。
頭の中で考えることは言語で考えているし、感情も想像もほぼ言葉で置き換えている。
先日、10年近く飼ってたチワワが突然ピンピンコロリで逝ってしまったのだが、ペット葬式を終えていつもお世話になっていた獣医のところにお礼に行った際「力不足ですいませんでした」と頭を下げられわず涙を流してしまった。
普段は予防接種なので多くて月1度通い、病気になったことはほとんどなかったので、死んじゃう当日にフラフラになっちゃったと持ち込んだ。
これだけ動物好きの人の転職だよなぁと毎回思うぐらい、来院する動物に対する愛情を感じる先生だったのだが、その真摯なもの言いに感嘆し涙腺も緩みまくってたので涙が出てしまったわけだ。
さて、言葉が詩となり歌があるのだが、どういうわけか私は昔から歌詞がまったく頭に入らない人なのだ。
普通にJポップ聴いててもリズムや楽曲はシビアに頭に入るのだが、歌詞はよほど注意していてもロストする。
なので、歌の歌詞の内容で感動することがないのだ。過去その経験もない。
あの歌はメロディと歌詞でなんとも素晴らしい、とかよく聞くが悲しいかな私にはダイレクトにはわからない。
ジャズの場合ボーカルは英語だし、さらにというか旋律や歌い回しの楽器としてのボーカルとして聴いているにすぎない。
歌詞が韻を踏んでいる英語の特徴も素晴らしいという人も多いが、そもそもその教養もないし、そもそも日本語だとしても歌詞が頭に入らないので、まったくもってその感情はない。
あるのはメロディとコードによる楽曲の雰囲気の解釈だけなのである。
リーコニッツもメロディをどう解釈するかだけで、そこに他のエモーショナルなものはないというようなことを言ってたので、ここに歌が生まれた背景や歌詞が自分のプレイに与える感情とは切り離れているタイプなんだろう。
キースジャレットトリオは曲の歌詞の意味をわかった上で演奏してる、とインタビューで読んだことあるので、少なからずプレイヤーが楽曲の背景に感情を入れて演奏しているわけだ。
そう考えると、ジャズで共演していてもプレイヤーのその曲に対しての感覚は、歌詞の深くまで入り込んで感情移入してたり、メロディの面白さだけを追っかけてたり、まあてんでバラバラなのかもしれませんね。
少なくとも私は言葉によって演奏に対して何らかの感情が入ることは皆無なのである。
調子のいいとき、悪いとき
毎回ライブの度に自身の演奏にいろいろ思うところはあるものの、昨夜のライブは1セット目が調子よかった。
調子よいというのは、メンバーとのインタープレイも必要なところで必要な音をスムーズに入れることができ、かつクリエイティブな感覚で今まで自分がやっていないパターンやフレーズがそこに入るというものだ。
調子よいときの要因は何だろうか、と考えてみる。
昨夜は10年はいっしょにやっているメンバーだが、私が大好きな美しいサウンドを出すプロベーシストがここ数カ月他のブッキングと重なっていたが、かなり久々でなんかちょっとだけ楽しみだったことが一つ。
ピアニストは多忙な教授兼医者なんだが、いつも仕事から音楽へ切り替えるのに時間かかっているところ、早めに店に入り小一時間練習しまくっていたというのが二つ目。
三番目は1セット目は客が一人しかいなく、その客も半分身内みたいなもんで「歌わせて」とシットインしに来るOLボーカルだったことで、誰も気負ってハッスルして演奏してはおらず極めてリラックスしていたこと。
つまり演奏者全員がニュートラルな気持ちでリラックスしており、かつ少し新鮮さも感じていた状態だったのかもしれない。
2セット目はピアニストの知り合いが多くいらっしゃってわいわいやっていたので、演奏の音に集中という環境でもなかったし、ピアニストもかっこいいところ見せてやろうと若干オーバープレイにもなっていたかもしれない。
毎回よい状態で演奏するというのは自分だけでも無理だし、共演者や場の状態がカギを握る。
ただ、周辺環境や共演者のせいでいい演奏が出来なかったと結論付けたりするのはダメミュージシャンなんだろう。
自分こそがよい演奏をしてメンバーに対してもいいノリが出るように仕掛け、お客さんも惹きつけて結果よい状態にする、ということを毎回できるミュージシャンが真の意味でプロなんだろう。
これを書いててわかってきた気がする。
やはり演奏中の自分の心の持ちようが重要なのでR!
楽器は大事にしましょう
月曜からドイツ在住の日本人ボサノバボーカリストのライブを観にいってきた。
内輪ノリで、ホームパーティーみたいな楽しいライブだった。
ボーカルとアコギ、ウクレレベース、パーカッションという編成で、アグレッシブな曲からバラード調やオリジナルまで選曲もよかった。
1ステージ目はお客さんもおとなしく、それを盛り上げるミュージシャンという構図で、2ステージ目はすっかり場が同調してホットな感じに。
事件はラストに起きた。
ラスト曲の最後エンディングでジャラララ~とやるときに、アコギをロックのソリッドギターのように体の周りを回すパフォーマンスをやろうとしていた。狭い店にお客さん満席で入ったので、バンドメンバーはギターが当たらないように少し退避。
私はなんとなくふっとんで来たら嫌だなと、少し構えに入った。
で、エイッと回したところ一周して体の前に戻ってきたところでストラップが外れてアコギがバーンと落下。
「あっ!」と持ち上げると、なんとネックとボディーの付け根部分が大きく割れてしまったのだ。
いつもはソリッドギターで失敗したことはないそうだが、まあ内輪ノリでの調子ノリすぎとでも言いますか…。
落としてもいい用の楽器ではないとのことで、ご愁傷様でした。。。
みなさん、楽器は大事にしましょう。