リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

YouTubeにおける著作権利者発見AIの進化

YouTubeは怒涛の勢いで各種音楽がこの瞬間も大量にアップされている。

著作権の権利者をどう守るかという課題はニコ動のように二次創作を認める仕組みを作り、会員に説明するようなものもがるが、YouTubeは世界各国でどこの国のどの曲をどういうかっこうでアップロードされるかわからないのでアップロードした動画のサウンドからAIが権利物と自動チェックしている。

 

ジャズはアドリブが多いので、元の楽曲との突き合わせはメロディ部分を判断しないといけないので、かなり難易度が高いハズだ。ただし、メロディが明確なものは検知できるケースはAI進化により高まるだろう。

 

たいていのジャズスタンダードの演奏はパブリックドメイン(古典すぎて著作権切れているもの)を除いても権利を主張されるケースはほぼないが、昨年ドルフィンダンスのライブ演奏をドラム解説動画としてアップすると、1日か2日経過してから権利主張された。

 

これ↓

 

権利がこちらにないものを使っていると判断された場合、動画に広告が表示される。

YouTubeの広告表示は2パターンあり、動画アップしているチャンネル開設者が自己の収益化のためにYouTubeに登録するケースが一つ。

ユーチューバーはこれ。私はアップ動画を収益化したい意向はないのでこの登録はしていないし、するつもりもない。

もう一つが著作権権利者に収益を回すために表示されるケース。

つまり、使ってもいいけど広告表示は消せずに、その広告収益はチャンネル開設者側ではなく、権利者側に渡しますよという仕組み。

 

これはリーズナブルであって、理にかなっている。

ただし、楽曲が誰の権利を使っているかをアップしたときにAIエンジンにより膨大な楽曲データと突き合わせるアルゴリズムが必要だ。

 

私は昼の仕事でIT関連に深く関わっているので、これのたいへんさは感覚でわかるが、膨大な投資と加えてマッチングさせるデータのパターンが必要になる。投資できたとしても、権利物と合致するか否かの判断はそのソースが大量に供給されないとAIの進化はできない。

それを考えると、YouTubeのこの進化には他の動画サイトはついていけずに寡占化するだろう。というか、もうそうなっている。

 

少し前までは、権利がどちらにあるのかアップロード者に判断させることもあったが、昨夜アップロードした動画はアップロードした瞬間に権利者向けの広告が表示される判定をされた。

 

これ↓

 

マイルスのアルバム、ウエインショーターのネフェルテティというメロディ主体の曲だが、この動画を作るにあたってシーケンサーに打ち込んだメロディのキーとテンポは同じ。バッキングとドラムはもちろん異なる。

アップロードする際に、権利者主張が出るのはないかとある程度予測しており、あえて楽曲名を英語でも日本語でもちゃんと書かず、タグも付けずにはぐらかせてみたが、アップした瞬間「第三者コンテンツ利用判定」が出たことでAIの進化を思った次第。

 

すごいなぁ、と思うとそこで思考は終わるが、これが進化してみることを考えてみると興味深い。

 

メロディを検知できるということは、例えばチャーリーパーカーのリック(ソロの一部のフレーズ)が検知できるようになるということだ。

この演奏のこの部分は過去の誰の演奏が創始者であって、それのコピーである、と判定されることもあながちおかしい世界でもなくなる。

メロディも部分を短縮していくと、どこまでが権利であるのかの基準はない。

1コーラス全体なのか、サビ部分だけでも権利なのか、2小節でも強烈な特徴があるのは権利に値するのか。。。

どんどん縮めると「ド」だけのように1音になるわけだから。

 

そのうち、誰のどのようなプレイに触発されて、もしくはフレーズをコピーして楽器のソロをプレイしたかがAIにより明らかになるかもしれない。

 

「この動画の2:01から2:05のアルトのソロフレーズはチャーリーパーカーの1959年アルバム○○の3曲目の2コーラス目のサビ前と同一」

 

ってタグ解説が自動で付与される。。。

 

だとすると真に新しい価値を出すプレイヤーはごく少数のミュージシャンのみとなるだろう。

見える化が進むと、そういうところも明らかになってしまうかもしれない。

 

結局人間はアーティスト誰でも過去の自分が吸収したものから何らかの触発を受けて音を出すので、それは脳内での過去のもののリミックスでもあって、そのリミックスが新しく聴こえると新しい価値を創造したことになり、組み合わせの妙を探す活動なのかもしれない。

 

コンテキスト上、これが新しいと評価されると新しいということになるが、その「新しい」とサウンドから感じる人間の感覚的な気持ちよさは必ずしも一致しない。

双方必要なものを生み出すことを考えすぎると、どこかに媚びて、真に自身の中からの創作活動ではないところに向かうかもしれない。

 

いやいや、なかなか興味深い世の中の進化になってきましたぞ。。。