リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

財テク投資活動するアーティストは似非である

財テク←ほぼ死語だろう。

 

NEM流出の記事を見ていて、仮想通貨を投機的に見る投資家ならず投機家というか小市民博打打ち的活動を見ててみなさんマメだなぁ、と思う。

私の近くでもビットコインを35万円のときに買ったと200万円のときに言う人がいて「へぇ~、すごいじゃないですか」と会話したのはつい先日のこと。

 

お金は大切だけど、金融の世界で何かの対価を得るわけではなくお金を増やすことに心の虚無感を感じないのだろうか?、とよく思う。

多かれ少なかれ人は根底でそれを感じるハズなのだ。心底充実を感じることと金銭はまったく関係ない。よく言われることだが裕福になって不幸な人はたくさんいるのは観察していてみなさんご存知の通り。

人間は自分が真にやりたいことに没頭したり、他人に貢献する活動をしてはじめて心の充実感を感じる生き物だ。

 

15年ぐらい前の話だが、当時まだ珍しい部類のCG製作をやっていて、とあるCGポスターコンテストでグランプリとなり賞金100万円をゲットしたことがある。

これは創作活動の一つの結果として違和感はなかった。ありがたく頂戴し、次の創作活動に使うことにしてCGで作った絵本を出版してみた。絵本は誰にも指図されない制作方法(つまり自費出版)をとったので120万円かかって赤字になったが、かなりクリエイティブな活動だった。2回増刷されて15万円ぐらいは戻ってきた。

 

これも10年以上前の話だが、ひょんなことから株関連でその数倍のお金をゲットしたことがあった。財テク活動ではなく、付与物だ(私は株はおろかパチンコすらやらない)。

何の創作活動をしたわけでもなく、世のため人のためにと仕事で汗をかいたわけでもなく、突然通帳の1列にすごい数字が並ぶ。

 

通帳を見て思った。

 

 

  なんのこっちゃ。。。

 

 

これ以上でも以下でもないのが正直な感想。

こういうダイレクト感がないお金は一気に散財させるべき…、と嫁さんと小さい子供たち3人を1か月半ハワイにステイさせ(私は最後の1週間のみ旅行として参加)、その手を受け入れる学校に通わせるということをした。幼少の体験が何かその後活きるかもしれないと考えてのことだったが、そうなったかどうか知らない。

(学校はいろんな国の子供たちが集まった初心者英語教室とはいえ、ストレスを感じてあまりよい思い出ではないみたいだがw)

 

 

さて、投資活動にしろお金を増やそうとする活動は世の中に対して自分が得になる作戦を立てていく活動でもある。アートを創作する上で、これを考え出すと「売れる」というのを狙う活動であることと同義となる。

売れるためには、売れるように、真に自分が表現したいことから変化してしまうことがほとんどのケースだろう。プロデューサーが入った瞬間、それは自分の他のプロデューサーの創作物かもしれないし、共作かもしれないし、下手するとというか、かなりの確率で売れるために世の中や誰かに迎合していくことになる。

 

つまり真の創作活動かどうかはその段階でかなり疑わしくなっている。

人間の根本の創作活動はそこと関係ない自身の根源的なところから発せられなければおかしいハズだ。創作活動に損・得は一切関係ない。無条件が基本だ。

ということからすると、財テクする人は(それが悪いということではありませんよ)アーティストの反対側にいることになる。

逆に言うと財テクをせっせとやる人はアーティストには成り得ないということだ。アーティスト気取りの財テクやってる人がいたとするとアーティスト部分は似非であると思った方がよいだろう。常に損得を考える思考の人は無条件の活動とは相いれない。

(くどいように言いますが、損得を考える人が悪いとか言ってるのではありませんよ。あくまでも人間の思考パターン種類のこと)

 

ちなみに、仮想通貨の話。

仮想通貨"売買"の話ではなく、ビットコインの元となったサトシ・ナカモトと名乗る人物が記したとされるブロックチェーンの論文、これはアートだよ。

この考え方と仕組の発想と理屈、「うほぉ~!」っと私はここに刺激される。

取引はしませんけど(笑)。

 

 

「なんでやらへんの? 儲かるやん!」

 

「で? …それであんたやおいらの頭の中の創造的刺激が満たされたりするのかい?」