コンサートスタッフをやってみて
ということで、何がということか意味はないが、ドイツから帰国した今度メジャージャズレーベルからリーダーアルバム出すドラマーが日本でのコンサートのためにドラムを貸してくれということで、二つ返事で手伝ってきた。
ボサノバ有名日本人ギタリストとピアニストとドラマーという変則トリオ。
最初、ローソンチケットでチケットを買っていたのだが、ドラム貸す=スタッフとして入ることになるので、チケットは昼の仕事仲間でこの手の音楽が好きな人にあげた。
人のコンサートだが、ドラムを持っていかないとアカンということは風邪ひけないな、と気合を入れて当日を迎えた。
心配性でもあるので、持っている手持ちのスタンドは超軽量なので、いつも行くドラムショップでハードウェアだけ借りることに。
コンサートは100名キャパで満席。
ギターのみアンプ通して、アコースティックでほどよい音圧が出るすごくいいサウンドだった。ピアノはスタインウェイのでかいグランド。
ドラムは私の少し前の年代のグレッチなので、音の相性はよかった。
リハから全行程演奏者とブッキングマネージャーやらスタッフと過ごして、オーディエンスも静かに聴いて大満足。
さて、打ち上げ。
集った方々は演奏者と日本のジャズレーベルを主催しているブッキングマネージャー、ジャズライター、ギター工房の兄ちゃん、他に関係者もろもろ。
ヨーロッパのレーベルとそれを日本で取り扱う代理店レーベルの話、ネット時代でのマーケティングで混乱している話、どうやって世に売り込んでいくかの作戦の話、メディアへの露出とそれをやっていく役割分担、レコ発ライブと合わないCDリリースタイミングをどう訂正するかの誰にどう何を言わせての動き方の話、、、
一言で言うと、業界の話ってことになるのか。。。
でも、、むむむ…、なにか違和感が。。。
音楽を創り上げるのはリーダーであるミュージシャンの純粋な意志があってそこへ向かうのだが、そこから先は完全に資本主義社会の動き方になってしまい、ミュージシャン含めてフリーな方々なのに話を聞いていると会社員の社内での会話と何も変わらないという感じがどんどんしてきて、何だか妙な気分になったのだ。
食うためにはどう動くべきか、どう有利に機会を利用していくかになるのだが、ミュージシャンのようなフリーランスの方々も資本主義社会の一員となって儲けていく=売れていくために考えて活動していく様は会社員がどう営業して成績伸ばそうかという作戦会議と瓜二つであり、結局そこにみなが巻き込まれていく商業主義と言うか、そうせざるを得ない構造について少し考えてしまった。
確かにそうやって売れていく過程の作戦は考えて動いて結果が出たり出なかったり含めて面白いのは理解する。
でも、その面白さは会社員として営業して自社の製品やサービスを作戦考えて動いて結果が出たり出なかったりというプロセスとまったく同じなのだ。
つまり、本来の自身で創作をする芸術活動の「血湧き肉躍る」と、売れていく過程の「血湧き肉躍る」は別物なのだ。
芸術活動は自身で考えたことを勝手にやる。評価されようがされまいが関係ない。勝手にやりたいからやり、何かを世に問う。
売れていく活動は売れていくために多くの関係者の意見も聞き、自身が思ってない評価もされ、自分の意志と違うところに動かざるを得なくなったり、売れるために意図せぬ修正を飲まねばならないことがほとんどだろう。
そうなると純粋な芸術ではなくなり、どこか誰かに合わせたり何かに迎合したりすることを避けるのはほぼ不可能かもしれない。
「芸術は無条件、無償でないといけない」
これを生涯徹した岡本太郎をまた思い出し、芸術活動の「血湧き肉躍る」と、売れていく過程の「血湧き肉躍る」を同じものでやることと別のものでやることの果たしてどちらが純粋なのかを考えてしまうのでした。