リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

漫画ブルージャイアントの違和感のなさ

漫画は嫌いではないが、「マカロニほうれん荘」以来、単行本は集めてはいなかった。

が、人に勧められて読み出したブルージャイアントはそれ以来で集めているw

 

あちこちで賞をとってて、超有名メジャー漫画になっているのので、どうのこうのと記すもんでもないが、ジャズ演奏していて業界を垣間見ている側からして、まったく違和感がないのがおっとーと思うのだ。業界の描写もそうだが、音楽のテクニックとテクニックではないエモーショナルな部分の対比みたいなものが緻密に表現されている。

 

日本編の最後の展開は、いわゆる漫画ストーリーという読めてしまった進行だったが、端々に出てくる音楽の神髄の「いい」「悪い」の描写や、7巻の巻末にあるハービーハンコックとウエインショーターとの対談はジャズマン必見でしょう。

でも、必見なんだが、プロのジャズミュージシャンには勧められない。アマチュアミュージシャンには散々勧めたが…。理由は以下に…

 

欧州編は舞台がドイツで、奇しくも今度ECMデビューを実現させた若手友人ドラマーと同じような単身ツテなしドイツ行きに不思議なものを感じるのだが、この漫画を読み、そのドイツへ行ったドラマーを近くで見ていると、ジャズマンの境界が見えてくるような気がしている。

 

上手いプロミュージシャンもたくさん知っているが、世界的になるところには大きな壁がある。その壁と、乗り越えていく人の行動がなんとなく見えるような気がするのだ。

 

まず、音楽に傾ける情熱の半端のなさ。

ドイツ在住のドラマーは、「どんな演奏でも絶対に手を抜かない。手を抜くのは自分自身に対する裏切りである」と言った。

セッション演奏で共演メンバーによっては上手いプロもグダグダになることがある。そういう場面を観察していると、ほとんどの人は力を抜いているが、彼のような人間は手を抜かず、後で聞くと「もうちょっと自分の力で何とかカバーできたハズだ。オレのせいだ」とまで言う。

 

次に、自分の進む道に対して妥協しない。

同じようなメンバーで同じようなステージや仕事をすると、途中から楽になりマンネリ化していくのだが、この手前で次へ行く。つまりバンドを解散したり抜けたりするのだ。

人間関係からすると、これは実際にはかなりタフでありキツイ。いい関係なのに、「抜ける」と宣言して軋轢が生まれることもしょっちゅうなのだから。

先週出たばかりのブルージャイアントの欧州編3巻でも、ストリートで楽にお金を得てしまったことを否定し、「もうストリートはやらない」と宣言する主人公がいるが、まさにこれだ。

人間、なかなかこういうとこから脱するのは難しく、よほどの信念がないと出来ない。

 

実は、この2つを超えていくのが「壁」のように思える。

つまり壁は外にあるのではなく、自分の内面にあるのだ。

そして、ここは演奏上の技量とかではないのだ。もちろん一定の技量はいるが。。。

 

私が共演するプロミュージシャンでも、この人は上がっていくかな、と思えど(つまり、すぐ共演してもらえなくなっちゃうな…、と思えた方々)同じメンバーと同じコンセプトの繰り返しが長く歳月が経っていくように見える人が大多数だ。

 

そう考えると、強い意志のみが道を決めていく、というのが見える気がする。

翻って自分を観察すると、ジャズ演奏は好きだがそこまでの信念をもって何かを表現したいわけでもないし、「このバンドは面白くないので辞めたい」と思っても軋轢生んでまで演奏機会を辞退するほどでもないと考えていまうし、昼の仕事は90%メンドクサイもののたまに血湧き肉躍るようなこともないこともないが、所詮ビジネスゲームの中でのことだし…、とまあすべてが中途半端というのが適切な表現なのかもしれないですね。。。