ネット時代、激変する事象の先っぽに音楽がいる
昼の仕事ではIT関連でもあるので、一応IT関連には一般人より少しだけ詳しい。
数日前、マーケティング観点でスマホサイトのコンテンツをまとめている部下のレビューをした。25ぐらいの女性にプロジェクトリーディングをさせてて、サイト構成やどう見せるのかを一生懸命説明してくれてUIデザイン面でもどうしてこうしたかというようなことを理屈含めて語ってくれた。
それはわかった。
でもさぁ、○○さん普段のあなたが一消費者となったときの行動から見て、それ使う?
というか、普段インスタ見て見つけたものの補足情報得たくてツイッター検索、以上!って行動してない?
はい、その通りです。最近はググらなくなりました。
で、このサイトにたどり着くだろうか…?
いやいやおっさんはググるし、年配者は最近スマホにならざるを得なくてようやくググりだしたわけだし、若者だけがターゲットではないのでいいんだけどね。あなたのいつものスマホ行動と仕事上作ってるものと感覚が乖離しているのを頭の片隅に入れながらやりなよ。
レビューは30代男性が3人いたのだけど、彼らはもはや検索行動はその若者女子とは異なっていることを認識していなかったのだ。お前らおっさん分類になってしまったってことやで、と言っておいたのだけれども(笑)。
まあ、それぐらいIT進化による感覚はどんどん更新されていく。
覇者グーグルがネット外の事業とITで強烈に進むアマゾンの前にもしかしたら見え方変わってしまうかもしれない。まさか、みたいな激変がすぐ起こる。アメリカは既にヤフーはないわけだし。
この進化の先端は音楽を見ているとわかりやすい。
音楽はデータだから。
レコード、CDまでは物理媒体がないと音を聴けなかったので、物質だったがストリーミングになった瞬間、データなのだ。持ち運びもいらないし、少し前までは取り扱いにくい大きなデータだったものの技術進化により、単なる屁みたいなサイズのデータになったとも言える。
アマゾンプライムだろうがスポティファイだろうがyoutubeだろうがデータだ。それを再生して聴いてAIエンジンにより次々レコメンドされる。使えば使うほど個人の好みとドンピシャでレコメンドしてくれるようになるだろう。
楽曲が単品データになると、アルバムの意味は薄れる。もはや物理媒体の価値は落ちてコアなファンが蒐集のために買う以外は意味がなくなる。私はCDショップに行かなくなり久しいが、先日たまたまヤマハの銀座本店に寄ってCDコーナーがあったのでジャズ棚を見たらECMのキースジャレットシリーズが定価1500円というのに驚いた。
定価を下げざるを得ないのだ。買わなくてもyoutubeで聴けるのだもの。
データは劣化せずにコピーできるので、ダメといってもyoutubeに誰かがどんどんコピーしちゃう。さすがに権利をほっておくわけにいかないのでコマーシャルのお金の分配が権利者に行くようにというのはyoutubeで後付けで作られている。
この流れは止まらない。
今はストリーミングに参加していないECMも早晩せざるを得なくなるだろう。企業として食えるか食えないかの世界に入っていってしまう。既存構造の破壊が起こっている。
ストリーミングになるとレコメンドを次々選んでいくことなる。というか皆そうしてるハズだ。
データである音楽は流通がデータなので、先にそこに進んでいるが、物理的流通がある消費財であってもアマゾンプライムのように配送料無料と金銭的制約がなくなると同じことが起こる。CDショップに行かなくなったようにスーパーで野菜買いにすら行かなくなるかもしれない。
野菜棚の前で何のオカズを作るかいな、と悩む行動がネットのレコメンドでこの野菜買うならこのレシピが今の季節いいので、あとこれとこれそろえたら?→いいねそれ、となる。
この激変の時代、いろいろ観察してみると面白いですねぇ。