リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

何かを創り出した瞬間に行き詰まる

ジャズは創造性豊かなようで、案外各種規制に縛られている場合が多い。多いというか、たいていがそうだ。煮詰まっているというか、既にかなりやり尽くされ感があるので新機軸はなかなか出るものではない。

 

コンピューターとジャズドラムでいろいろ面白いサウンド実験が出来ると思い、ここ2、3年思いつくままに試してきたが、これもそろそろ煮詰まってきたかもしれない。

 

そう、やることがなくなってきたのだ。。。

創ろうとしているときはワクワク感があるのだが、創った瞬間煮詰まるというか、行き詰まる感じが半端ない。

 

知り合い含めてジャズミュージシャンのツイッターなどを見ていると、みなさん日々明るく来る日も来る日もライブをやっている。素晴らしいしと思う。

が、同時に飽きないのかな、、、とも思う。

 

ジャズはミュージシャンと合奏すると、アイデアは共演ミュージシャンから供給されるので、終わりなき探求が常に出来る音楽とも言えるだろう。でも、お互いのアイデアが慣れっこになり、予定調和になると新しいものを捻りだそうとするジャズの本質からはかけ離れるハズだ。

でも、こう来たらこう対応する、というセオリーはたくさん存在するので、それのみを追いかけて演奏してもジャズにはなる。オーディエンスからすると、安心して聴けるジャズとも言えよう。

ジャズミュージシャンはここで何パターンかに分かれていると思う。

 

伝統芸能をトレース(コピーしたい)するタイプ:バップ命

・ジャズセオリーをいかに上手くやるかを追及するタイプ:職人

・ジャズセオリーの中で新機軸を自分なりに出そうともがくタイプ:楽器オタク

・白紙のキャンパスに絵を描くように毎回チャレンジするタイプ:芸術指向

・そもそものルール設定はおかしいと常に懐疑的に考えているタイプ:飽き性

 

たいていのジャズミュージシャンは、ある種のルール範疇から出ないように見えるし、逸脱しようとするようなことを常に考えているとも思えない。伝統芸能的に予定調和を楽しむのもわからんでもないが、そこを疑いもしないミュージシャンからは「アートブレイキーみたいな入り方をしてくれよ」、とか平然と言われることもある。こちらは憮然とするわけだが、根本の考え方が違うので、ここは言ってもわからない領域にもなる。

 

同じジャズを演奏していても、このように根底のジャズという音楽の捉え方は異なる。

 

話を元に戻すと、やることなくなってきてアイデアも陳腐になるかもしれないが、思いついたものは演ってみることにする。

ということで、超高速リズムから超低速に4ビートのスピードを変化させていくと、ドラムはフリージャズ→少しオーソドックス→フリージャズと対応させることになるのかなぁ、と演奏してみました。

 

 

左側にあるのはトロンボーンをてきとーにMASCHINEというDAWシーケンサーに入れたときのピアノロールです。音楽になっとるかいな(笑)。