リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

20年ぶりに会ったピアニストと音信不通だったギタリストの消息…

私が社会人になって「ジャズ始めたいんですけど」と大阪のジャズバーに行ってほどなくして、その店に大学1年生ピアニストが来た。そういつは上手く、器用に何でも弾けた。田舎の高校で一人で練習して上手くなったらしい。

しょちゅうジャムセッションし、バンドを組んで東京ツアーだ、とか言って渋谷のアマチュアが集まる店でライブをさせてもらったりした。ほどなくして、そのピアニストは大阪の店とうまくいかなくなり、そのタイミングで私も疎遠になり、社会人になるときにピアニストになっていったという噂だけ聞いていた。

 

私が最後に会ったのはまだ学生だったハズだが、それから20年以上。ツイッターで繋がり、東京に出張レッスンすると書き込みが。

その日に私ライブ入ってたので、夜遅くなってもいいからジャズバードに来たらとツイッターでやりとりすると、3ステージ目もあと1曲ぐらいのときにやってきた。いやはや嬉しかった。

 

無理やり1曲入ってもらい、ご機嫌な演奏をしてもらった。ベーシストのシトロン氏は、あまりにご機嫌な演奏に「疲れた疲れた」と。まあ3ステージ目だったしね。

もともとかなり面白い人間なので、ジャズバードオーナーとも一瞬で打ち解け、来年は企画ライブでもやりましょうか、となった。

 

彼と昔話もしながら、ふと、とある記憶が蘇ってきて、ピアニストと同じ大学に行っててその後音信不通になったうまちゃんというギタリストのことを思い出した。彼は下手だったが、フリージャズに傾倒し、25年前彼の下宿に行ったときたくさんあるレコードがすべてフリージャズで、いっしょに行った仲間が「フリーの館」と命名した、そのシーンを強烈に想い出したのだ。

 

真面目な奴だったので、そういえば彼はどこに就職したのか、と聞くとジャズギタリストとして東京にいると言うのだ。

 

「えっ…」

 

真面目でサラリーマンになるような性格だったこと、ギターはそんなに上手くなかったこと、フリーに傾倒していたこと、とてもプロの世界で渡り歩くようなガッツがあるような感じではなかったこと、これらからプロになっているようなことは想像だに出来ず、しかも東京だとそれなりに名前を見るようにも思うが、一切それはなかった。

 

ネットで探すと、これまた情報少なく、画像検索でググると、なんとなくの活動状況が見えてきた。たまにデュオのライブをやったり結婚式などにイベントで弾いたりしているみたいだった。

フリー好きだったのに、「大人のジャズ」と評されているみたいだった。

 

彼がどういう生活しているのかは知る由もないが、いろいろ考えさせられてしまった。サラリーマンやっている私の方が多くライブをやっているし、編成も多岐にわたるし、好き勝手に様々な系統のジャズも演奏しているような気がする。それがいいとは言わないし、昼の仕事では毎日毎日なんでこんな面倒なことが起こるのかという生活でもあるのだが、無理くりジャズライブもかなりの数をこなしている。でもフリーランスの彼は明らかにライブ数は少なく見える。

何がこれを分けるのか、25年の歳月で境遇はかなり違うことになっているわけで、うーん…。

 

今度、どこかで演奏するのを見つけたら会いにいってみよう。