何かを忘れそうになると岡本太郎に立ち返る
今住んでいるところの近くに岡本太郎美術館があるせいかどうか忘れたが、いつしか岡本太郎の書物を読んで、その魅力に取りつかれた。
テレビで目を剥いて「芸術は爆発だ~」と言っていたコメディアンのような印象をもっていたのは私だけではないだろうが、こんな若くして達観し、頭のいい人はいないと感嘆したのが「今日の芸術」だ。
1954年刊行というから驚く。60年以上前。。。
音楽でも何でも創作活動をやっていると、どこかで「誰かにウケたい」とか認められたいというような感覚が出る。一方で新しいものをやりたい欲求がある。
「新しいとはどういうことか」
こういう問いに対して、明確な解説をしている。なぜ芸術が必要なのか、デタラメをやってみることの難しさなどもすごくテンポよい語り口で明確に解説している。芸術と芸能の違いなども混乱することはなくなる。
すごく面白いし、自分の活動がどこか迎合的になっているような気がするときに、この本に立ち返る。すると、忘れかけていた何かをいっぺんに思い出すような感覚がある。
何度読み返したことか。文庫本だけどボロボロですよw
youtubeでも何でも「いいね!」が付く時代。人間は不思議なもので、「いいね!」を求めてしまう。これは認められたい欲求が根本に備わっている、つまり社会的生活をするための基本が生命装置の中にインプットされている表われなんだろう。
ところが、「新しい」ということに対し、本当に新しいということは、誰もそれを最初は理解できないという解説がされる。最先端だとみなブーイング。というか酷い場合は無視。時代が進み、それがようやく価値がわかるときには作家は既にこの世にいない、ということも数多く起こってきているのは歴史が証明している。
そういうことを想うと「いいね!」がつく=みなが理解して現在の価値以上に新しくない、ということも言えるわけだ。これを考えたとき、youtubeで発表する作品は「よくないね!」がついたりチャンネル登録者が減ったりするのが「新しい」裏付けかもしれないとも思う。実際は本当にダメダメのことの方が多いだろうが、誰かに迎合という事態は避けれそうな気がする。
自分の中で「あれ、いいね!を求めてしまっていないか?」と思う際には、岡本太郎を読み返して状態を元に戻すようにしている。