リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

マイケルブレッカーの楽器運び

昔、斑尾ジャズフェスで外タレがたくさん来てたバブル時代、マイケルブレッカーフリークのベーシストの先輩に連れられてステップスアヘッドの全ステージを観る目的でペンションに宿泊してたときのこと。この先輩はベーシストながらもマイケルブレッカーが好きすぎて、自分のあだ名を「マイケル」として、皆に呼ばせていた。

ジャズフェス期間中はジョンスコとか普通にペンションお土産物屋を歩いていたのだが、斑尾に来るほとんどの若者はテニス目的で来ているので、単なるロン毛で前が薄毛の外人には誰も見向きしない。

 

さて、ジャズフェス初日の朝。

早く目が覚めたのでベースの「マイケル」先輩に散歩しようと声をかけたら、眠いから行ってきてくれ、ということでアルト吹きの先輩と行くことにした。

会場を下見しようということで、そこまで行った帰り、なんとマイケルブレッカーがテナーとEWIという電子楽器と大量のエフェクターをかかえて、ふうふういいながら前から歩いてきた。

私とアルト吹きの先輩は英語まったくしゃべれず、私はジャズを始める前でマイケルすら知らない状態。アルト吹きの先輩が「ああっ、マイケル!」と驚いて、まあとにかく手伝うことにした。

 

ステージは坂を下ったところの冬にスキーのレストランになる会場のテラスだった。

そこの裏の楽屋に楽器を運ぶ途中だったらしく、そこまでいっしょに荷物を運んで、大量に置いてあった貸しスキー靴に3人で笑って、まあいい想い出になった。

ベースの先輩にマイケルブレッカーの荷物を運んだと言ったら、まあ悔しがったこと。彼は英語の先生を目指しており英語は問題なかったのに、千載一遇のチャンスを逃してしまったのだ。

 

早起きは三文の徳というのはこのことですな。