出張行ってジャズ用事
この土曜日に昼の仕事の管理職研修とやらがあった。なんで土曜日やねん。。。
普段は部下とのやりとりでお留守にできないので土曜日に出てきなさいと。まあ、仕方ありませんなぁ。
月曜日に福岡出張で、日曜に関西で昼の仕事のスポーツ部の公式戦があったので、その応援に行くことにして、スティックを忍ばせた。
土曜日は研修終わってすぐ新幹線で大阪梅田へ。「いんたーぷれい8」に直行してセッション。昔のメンバーや初めて知りあう若手含めて面白く演奏。
日曜はスポーツ応援して夕方から泉大津から夜行フェリーで門司へ。
月曜日は昼の仕事で客先行く前に博多の有名医者ドラマーの医院へアポなしで行き、CD作ったので聴いてと渡してきた。たまたま患者がいなかったので、受付で医院長呼び出し「誰ですか?」と怪しまれながら。。。
医院兼住居兼ドラム事務室の建物だった。びっくり。事務室には3セットのドラムとピアノが。すごい環境だ。
昼の仕事の用事を終えて、夜は天神隣の赤坂にある「バックステージ」に。
知らないバンドが演奏しているハズだったが、トラのギターは25年前、大阪時代によくセッションしてたギタリストだった。定年で博多に戻ったとのこと。
2曲ほど乱入演奏させてもらって、ドラマーとわいわい会話して、店のマスターやその知り合ったドラマーに作ったCDを渡して近所のホテルに宿泊。日帰り出張なので、3泊自腹宿泊だが、1拍は実家、2拍目はフェリー(安価なので移動交通費に含まれる)、3拍目はカードのポイント駆使したが3000円の自腹。
ということで、安価に旅行をしてきたようなもんでした。
ライブお休み中
久々に丸3週間ライブがない状態。
休暇みたいに感じているのは、普段多すぎて半分飽きているということなのかもしれない。
明日から怒涛のライブだったが、昼の仕事の関係で2回はキャンセル(トラを入れた)。
来週は水曜日→土曜日と4連チャン。
体力的、体調的に連続は入れないようにと思いながら、カレンダーの都合でそうなってしまった。
ツイッターはジャズミュージシャンのフォローやフォロワーも多いが、まあみなさん精力的に日々ライブをやってること。感心してしまいます。
好きなんだろうなぁ、と思う。いや、私も20歳台のときは1曲でも多く演奏したくてしたくて仕方がなかったし、もっと上手くもっと上手くと思ってた。
ある程度出来るようになり、それなりのレベルのメンバーと共演したりするようになったから以前のようにより上位へみたいなものがなくなってしまったのかもしれない。自分の中でクリエイティブ性が低くなってしまったのかも。
というよりオリジナルで発想して何か作ってる方がかなりクリエイティブだったりする。
こんなのとか↓
もしかすると、バンドを主催すればいいのかな。やったことないが。
ちょっと考えてみよう。
何かを忘れそうになると岡本太郎に立ち返る
今住んでいるところの近くに岡本太郎美術館があるせいかどうか忘れたが、いつしか岡本太郎の書物を読んで、その魅力に取りつかれた。
テレビで目を剥いて「芸術は爆発だ~」と言っていたコメディアンのような印象をもっていたのは私だけではないだろうが、こんな若くして達観し、頭のいい人はいないと感嘆したのが「今日の芸術」だ。
1954年刊行というから驚く。60年以上前。。。
音楽でも何でも創作活動をやっていると、どこかで「誰かにウケたい」とか認められたいというような感覚が出る。一方で新しいものをやりたい欲求がある。
「新しいとはどういうことか」
こういう問いに対して、明確な解説をしている。なぜ芸術が必要なのか、デタラメをやってみることの難しさなどもすごくテンポよい語り口で明確に解説している。芸術と芸能の違いなども混乱することはなくなる。
すごく面白いし、自分の活動がどこか迎合的になっているような気がするときに、この本に立ち返る。すると、忘れかけていた何かをいっぺんに思い出すような感覚がある。
何度読み返したことか。文庫本だけどボロボロですよw
youtubeでも何でも「いいね!」が付く時代。人間は不思議なもので、「いいね!」を求めてしまう。これは認められたい欲求が根本に備わっている、つまり社会的生活をするための基本が生命装置の中にインプットされている表われなんだろう。
ところが、「新しい」ということに対し、本当に新しいということは、誰もそれを最初は理解できないという解説がされる。最先端だとみなブーイング。というか酷い場合は無視。時代が進み、それがようやく価値がわかるときには作家は既にこの世にいない、ということも数多く起こってきているのは歴史が証明している。
そういうことを想うと「いいね!」がつく=みなが理解して現在の価値以上に新しくない、ということも言えるわけだ。これを考えたとき、youtubeで発表する作品は「よくないね!」がついたりチャンネル登録者が減ったりするのが「新しい」裏付けかもしれないとも思う。実際は本当にダメダメのことの方が多いだろうが、誰かに迎合という事態は避けれそうな気がする。
自分の中で「あれ、いいね!を求めてしまっていないか?」と思う際には、岡本太郎を読み返して状態を元に戻すようにしている。
ドラムマガジンの誌上ドラムコンテスト
リットーミュージックのリズム&ドラムマガジン、高校時代にドラムを始めたときにちょうど創刊号になった雑誌だ。通称ドラマガ。情報がなかった時代、いつも発売を心待ちにしていた。
先日実家に行ったら、ソノシートがたくさん出て来た。まったく記憶になかったが、ドラマガにちょこちょこ付録で付いてたのだ。ソノシートと親に言われて、ソノシートという言葉自体記憶のかなたからそれこそ30年ぶりぐらいに頭の中から出てきたのだが、薄っぺらいレコードのことだ。
リズムパターンなどが雑誌記事と連動してレコード盤で確認できるようになっていたのだ。
そのドラマガが25年ぐらい前からか誌上ドラムコンテストというのをやるようになった。その頃にはドラマガは買わなくなっていく頃だが、カセットテープに録音して送付するというコンテストだった。
たまたま一昨日ツイッターのレコメンドでドラマガが出てきて、誌上コンテスト開催中といのを知った。16回目だそうだ。カセットで応募する時代から時は過ぎ、youtubeにアップせよ、と。
今回から動画のみになったらしい。曲はクリック入りやサンプルやドラム抜きのものをウェブからダウンロード。ただ、雑誌を買わないで応募するのを防ぐ方法はアナログで、ドラマガについてる応募券をエントリーシートに貼って郵送すると。ここだけネット時代に追いついていませんねw。仕方ない方法だと思うけど。
エントリーするかどうかは別として、動画を作ってみた。
曲はツーバスドカドカでもフュージョンでも合うような曲調だが、まずブラシ使ってやろうと思い、せっかくなので全然違うアプローチで作ってみた。
さすがに無理があるフリー系のアプローチだけど、ドラムマニア向けにベードラのキックも画像を撮って付けておいたw
ほとんどのドラマーはきっちりテクニカルに叩くことに注力しているので、バッシングされるだろうなぁ。まあどうでもいいのだがw
オリジナル曲のCD、曲はどうやって書いた?と問われて考え込む
こないだ作ったオリジナルのCDは、ありがたいことにネットで郵送してほしいと数件注文が入ったり、知り合いミュージシャンが大ウケしてくれたりと、やってみるとそこから反応というリターンが来るので面白いもんです。
いんたーぷれい8のフェイスブックでも書評を書いてくれた。
自分としてはエンターテイメントではない視点を目指していたんだけど、それが逆にエンターテイメントになってたという、まあそういう気付きが得られた(笑)。
笑いのエッセンスも入っていたか…。
製作は大真面目にやったのでそんなこと微塵も考えなかったが、確かに狙いは「どや、おもろいアプローチやろ」ってのは根底にはあるわけで、そう解釈されるのはありだし、逆に図星なのかもしれない。
なるほどねぇ。って感じw
先日、最近バタバタと還暦過ぎたサラリーマンミュージシャン仲間にヒロ川島氏が「これめちゃおもろい」と言ってくれたので、彼が昔からやっているバンド「スイートネイル」のピアニスト、ベーシスト、ドラマーがこぞって買ってくれた。
(ちなみにスイートネイルってバンド名はかっこよく聴こえるが、「詰めが甘い」の意味:笑)
ピアニストは現役フルタイムサラリーマン時代から、ほぼ毎晩ジャズクラブで演奏するという強烈なダブルワーカー(しかも働き方改革の例の事件の元となった会社のグループ会社勤務だった)で、私もたびたび共演する機会があるミュージシャンなのだが、彼にオリジナル曲の作曲はどうしたのかと問われ、ちょっと即答できなかった。
そう、曲は書いてないのだ。
そう言われると、作曲せずにオリジナル曲を構成するというのはヘンな話かもしれない。
でも、ジャズだと成立する。フリージャズアプローチがあるから。
人によって見え方が違うというのを知るというのは刺激的ですね。そういう面では芸術的活動もそうだけど、昼の仕事のビジネスも実は同じだったりするわけです。
ミュージシャン、モテるの怖い事案シリーズ
たまにミュージシャン同士で会話してて、お前はかっこいいしモテてええなぁ、みたいな会話になることがある。ただ、続きはいつも同じで、モテない人がモテるミュージシャンの苦悩話を聞くことになるのだ。
ECMミュージシャン(日本人です)と会話してたとき、彼は怖そうに見られてモテないし話かけられもしないが、日本でツアーしていたときのクラリネット奏者(日本人です)は背が高く貴公子と呼ばれるくらいフェイスもよく、まあかっこよくどこの地方へ行ってもファンがいると話題になった。
私もそのクラリネット奏者は知っているが、まあそうだろうね、という感じ。
でもファンの度を超すと付きまとわれる恐れがあるらしい。
大阪のアマチュアドラマーが「今、あの人につかれている」と、とある少し年配の女性客に戦々恐々としていた。どのライブにも花と手作りケーキとかをもってくる、みたいな。「どうしよう、どうしよう」って演奏どころでなくなっている。。。
知り合いのかっこいいトランペッターは、昔ファンになった女性が俺の名前の刺青を彫っちゃって参ったと。そりゃ参るでしょう。。。
女性ミュージシャンは男性客につかれるケースは、まあよくある。ジャズミュージシャンでもそうだからアイドルなんてホントたいへんだろうと思う。
少し前の話だが、たまにいっしょにやっているプロの女性ジャズベーシストが男性につきまとわれた。「イェイ!」と掛け声多く応援してくれているように見えて、ベーシストに「ファンなの?」と聞けば「それが…」と。
どのライブにも顔を出すようになり、その男性は女性ジャズミュージシャンを次々と相手を変更して「結婚してください」とストレートに本気で言う人でついに私に来ちゃった、みたいな。旦那さんいる女性ジャズミュージシャンにも構わず同じ行動をとっていると。おっと、かなり危ない。
さすがにそれはキツい話だよねと心配してたら、無事に離れたと。
どうして離れた?
結婚をきっぱり断った!
そりゃそうだ。でもよかったねぇ、と。
有名になりたい欲みたいなのが人間にはあって音楽スターになることを憧れる人も多いだろうけど、そういう人間関係を見聞きすると音楽は純粋にやっていたいと思う。
まあ、でも若いときはモテたい動機がなかったかといえば、ウソになるが。
昼の仕事仲間が夜のライブに女性社員らと来て「かっこいいなぁ。お前モテるやろうなぁ」と言いながらドラム片付け中に「先帰るわ」と女性陣を連れて帰ってしまう。何度あったことか。
まあ、そういうことなのですw
音楽はデータとなり人類の共有物となる
先日ECMミュージシャンと話をしてて、あのECMですらCDは売れなくなっていて方針を変更してネット配信も考えないといかんかも、という時代になっていると。
ネット配信してなくても、youtubeには多くのものがコピーされちゃう。
最近上陸したスポティファイを始め、ネット上の音楽配信は何といってもレコメンド機能が特徴でしょう。あなたと同じ好みはこの曲ですよ、とAIが判断してくれて、それはあまりハズレなくて逆に次々と知らない曲を紹介してくれる。
ただ、レコード、CDと大きく違うところがアルバムという概念がないことだ。
先週、大阪のフリージャズできるアマチュアジャズミュージシャンと会話しててその話になった。
CDは曲をポンポン飛ばして再生できるけど、レコード時代は曲の途中に針を落とすのはキズつけるリスクあるのでけっこう熟練技っぽいところがあり、大事にしているレコードはA面かB面は一旦針を落とすと最初から最後まで聴いた。
そのときの感覚で、曲の繋ぎ目を毎回楽しむという聴き方があった。前の曲が終わってからこの曲に入るところが好き、という感覚だ。
CD以降の人たちは、もはや理解しにくい感覚かもしれない。
そして、CDも意味がなくなりネット時代になると、音楽はwavとかmp3のファイルへ。つまりデータになってしまったのだ。
ファイルの中身は簡単に取り出せ、部分的にカットもできればエフェクトもかけれるし、スピードも変更できる。
人類が発行してきた全てのCDをmp3で128kbpsにすると20テラバイトらしい。2、3年前の話なので今はもうちょっと増えてるかもしれないけど、たった20テラ。
今、ビックカメラ等の量販店で2テラのハードディスクが1万円ちょい。10万円ちょいで人類すべてのきちんとした録音したものがお手元に。。。
そう考えると笑えるというか、お手元になくてもネットにあるからそれでいいやん、とまあクラウド時代ということですね。人類の共有物になったということです。
所有という概念がなくなりました。
同時にこの曲から次の曲に行く部分が好きなんだ、という感覚も失ったわけだけど、その感覚をなくすのは何かもったいないような気がする。。。