リーマンジャズドラマーのブログ

サラリーマン兼ジャズドラマーの思うところ

日本の楽器練習教育はあちこち間違っているような気がする

幼稚園の頃、ちょっとだけエレクトーンを習っていた。ほとんど何も覚えてないが、先生が「手は卵を握るような感じで」と常々言ってたことだけは記憶にある。

ピアノ教室なんかでも鍵盤への手の置き方を指導していると思う。ドラムを初めてから、唯一頼りにしていた情報誌「ドラムマガジン」は初心者向けにスティックの握り方や脇の締め方などのやり方を繰り返し掲載していたように思う。

 

脇締めて!

 

スティックは親指と人差し指で支えて~

 

これが見事に間違いであったことに気付いたのはドラムを初めて30年も経過したときだったのだ。おかしいな、と思うチャンスは25年前にあった。

当時ジャック・デ・ジョネットの初の教則ビデオ(まだDVDがない時代)を入手して観たときに最初に解説してたのが脇を開けてオープンに、ということだったのだ。

 

日本人って体育なんかもそうだけど、身体を閉めてきちっとぎゅっとして気合を入れるのが基本みたいなものがあるけど、軍隊の規律行動じゃないんだから違うよね。

ドラムの場合、このノリで叩くと肘や手首はちょうつがい的なものと動きを解釈する。ではないのだ。身体の動きはすべて捻りで構成されている。回転運動を加えないと不自然であり、様々なところに無理な状態の負荷がかかっていることになる。

 

あー、これを20代ぐらいのときに気付いておけば、というのはアフターフェスティバル。

そう、後の祭りなのだ。

 

そう思って海外の昔の人含めて大御所ドラマーをyoutubeで観察すると、誰も親指と人差し指でスティックなんか握っておらんではないか。

野球でも大リーグのバッターのかまえが個人個人バラバラなのに対して、日本人はかなり揃っている。同じようなことが起きているように思う。

 

バークリーなんかでは、最近だと音楽家の身体の使い方なんかも学ぶと思うけど、このあたりは過去のこうしなければダメですよ日本的教育から頭を切り離さないとダメなんだろうね。

 

30年も楽器やってて直すのは簡単ではないが、常々意識だけはしておこう。

ということで、たまにこの本をチェック↓することにする。

 

初めてCDを販売してみたところ、4枚売れました

作ったCDを売ろう、ということでyoutubeにはプロモ動画をアップ。

 

 

youtubeでちょこちょこコメントいただける方から郵送してほしいとあったので、本日郵送。これが販売第一号。

あと、今日はライブだったので終了後にミュージシャン仲間に「変態CD作ったんだけど買わない?」と押し売りしてみることに。

 

コンピューターと一人でやったってこと?

→ジャズマンはコンピューターに疎いので「へっ?」って興味もつみたい。

 

すごいじゃんこのジャケット、美しい。

→そう見えるんだ…。ジャズにはないジャケットだけど。

 

1000円なの? 買う買う。私も買う。(3枚売れた)

→2000円とかと違ってみなさん躊躇しないね。

 

なにこのキースジャレッティングってやつ?

→興味そそられるんだ、こういう曲名入れるのって大切かも。

 

名刺代わりに作ったようなところもあるけど、値段とジャケット見て内容を通常のジャズCDとかではないアプローチのことを話をすると案外買ってくれるような気がしてきた。

聴いてもらって笑ってもらえたり考えてもらえたりするといいけど、フィードバックもらえたらそれを元にまた積極的に声をかけて売ることにしよう。

 

営業マンみたいになってきたぞ… ソレデイイノカ…

ジャズ演奏できる店との相性

しょっちゅうジャズを演奏していると、店との相性というものはけっこう感じる。

私はあまり合わない人は少ないタイプだけど、そうは言っても向こうからなんとなく距離を置いてくるケースはたまにある。店の場合だと、オーナーやママといったところ。

 

マチュアが集う店だけど、ずいぶん昔にプロ連中とライブで数回入って、なんかバンドメンバーとママに最初から距離があってフェードアウトしたことがあった。

そこに最近アマチュア集まりに呼ばれて行くも、なんとなくよそよそしい感じがあり、今月は2バンド誘われたが両方断った。基本断らない性格(断れない性格)だけど断った。プレイヤーは人間的に好きな方々だが、店がなんとなく嫌で断った。

 

店側は場所を提供してあげてる感が強いところに私は何か反応しているのかもしれない。

店も商売なので、集客が少ないと困るのはその通りだが、企画者であるバンマス呼び出しくらって客少ないとイエローカードという話を聞いたりするので、そこに私は嫌悪感を感じるのかもしれない。なので、たぶん私がそれを嫌う雰囲気を出してしまっているのだろう。

 

そんなこと言ってたら演奏する場所がなくなるかもしれない。

 

いや、精進していいプレイヤーになれば、演奏場所はあるハズだ。

 

ま、そんな感じで。。。

ということで、ジャズのCDを作ってみることにする(その9)

ということで、本日CDが出来上がり届きました~。

 

 

1か所誤字訂正し忘れたのを発見。あちゃー

 

色校正しなかったのだが、色味は全然OKだった。

さて、まあ仕上がってしまうと、やはりその過程が面白かったことにあらためて思うわけで、自分の中では過去になる。そういうもんだ。

そう終わりにしてしまうと、箪笥にしまって何のこっちゃになるので、機会あるたびに手売りすることにする。

コンピューターでどうジャズが出来るかという、たぶん世界中の誰もやってないようなアプローチと思っているのだけど、サウンドだけだとわかりにくいので細かく解説している。これ読んで聴くと、「そういうことか」とわかるようにしたものの、説明されないとわかりにくいものでよいのかという疑問も包含している。

 

まあとにかく出来たので、めでたしめでたし。

 

(おわり)

大脳皮質で判断できるようになるトレーニングがあるって…

今日、某工業系大学で講演とパネルディスカッションに参加してきた。昼の仕事関係で…。

そのパネラーの中に世界トップ女性レーサーがいて、初めて会話したり話を聞いたのだけど、レーススタート時の混乱の際は脳で判断しては間に合わない危険な状況があって、それを克服するためには大脳皮質で判断するトレーニングがある、と。

 

なぬ!?

 

なぬなぬ???

 

それを解説したような本を出したりしてませんの? と聞いたんだけど、誰かが書いた論文はあるけど本はないと。

レース中はモニターで血流や心拍数などを測っていて、判断誤る場合は身体がどういう状態になり、それを回避するためにトレーニングすると判断能力が上がって、結果レースに勝てると。

昨日、それをやっている初めてフェラーリレースに出させた教え子が20年フェラーリレースやっている親父達相手に初戦で優勝したと。つまり、体力とか気合とかではなく科学的トレーニングで男性より劣る女性でもレースに勝てるのだ、と。それを実証していっている。

 

ジャズも瞬時の反応の速さってのがあって、演奏中あー、今こういうアプローチとりたかった~、みたいなことは多い。

その大脳皮質で判断するトレーニングやったら、それを克服できるんとちゃうやろか…。

 

ちょっと、それを知りたいし、人間(というか動物)の能力のまだまだ牽き出せるものはたくさんあって、我々はごく一部分しか使ってないのかも。それをレースでもスポーツでも音楽でも会得した人間があるレベルを超えるのかもしれない、と思うとそこはちょっと突っ込みたいなぁ。

むむむ…。

ジャズにおけるピアノ、ベース、ドラムのリズム関係

ジャズは生楽器の演奏が基本だが、アコースティックベースのみベースアンプをつかって音を増幅することが多い。

ベーシストによっては生が好きで、少々大きな箱(ライブハウス)でも生に徹する人もいる。ベースの音が聴こえないんじゃないかと思うものの、これは音の発するタイミングで音の通りは全然変わるのだが。

ドラムのシンバルレガートが真ん中とすると、ベースは微妙に前を突いてるとベース音は目立つ。ここにピアノやリード楽器がレイドバック、つまり後ろ後ろに少し引きずるようにフレーズを入れていくと心地よいノリがでる。

ジャズマンはこれを追及しているようなところもある。

 

そのカラクリをコンピューターシーケンサーで試したのがこちらの動画。

 

 

音楽のノリはホント面白く、演奏者によるクセの組み合わせで微妙な表現は変わる。

 

でもコンピューターで簡単にこの揺らぎはパラメーターとして設定し、数値によって自在に操れるところまで既に普通に実装されているので、人間が演奏しなくても出来てしまう領域は拡大している。ヒップホップなんか、それを積極的に使った音楽だし、この考え方とコンピュータによる表現はYMOのときから既に実施されているので普通のことでもある。

 

案外知らない人も多いけどw

ジャズをやり始めのときと、今の感覚の違い

私は社会人になった年の夏に「すいません、ジャズ演奏したいんですけど」とジャムセッションやってる店の門戸を叩いた。

 

「ジャズ研?」

 

「いえ、そういうのは。フュージョンとかやってましたが」

 

「わかった。ちょっと待って…。 あ、すいません~、今日はちょっと早いんですが営業終了しますんで」

 

え、人払い?

 

残ったのはピアニストのマスターと私と居合わせた常連のベーシストだった。

そこで店のドラムをセッティングし、トリオで演奏した。

 

「手足は動くけどジャズは全然アカンな」

 

そんなこんなでジャズをやりだしたときはセッションではとにかく全て自分が叩きたかったし、いろんな演奏者と演奏したくてしたくて、という状態だった。昼の仕事はシステムエンジニアで、昨今の働き方改革なんてなんじゃそれ、というぐらい徹夜もしょっちゅう土日はどっちか出社は普通という生活でジャズのセッションに通っていた。

 

面白くてしょうがないのだ。メンバーや店の人からは全然アカンと罵倒されるわけだが、とにかく上手くなりたいの一心でサラリーマン激務の間隙ちょっとの時間でセッションに行く、みたいな。

年に数回、山下洋輔さんがライブする店だったので打ち上げセッションで初めて共演できたときには感謝感激甚だしい、まあそういう感じだったわけです。

 

それから25年以上経過し、昨年も同様の打ち上げセッションで共演させていただいたが、そういう感激みたいなものはホントなくなってしまった。ここ10年ぐらいだとライブに小曽根真さんが乱入したり、ケイ赤城さんが乱入したり、ツアー中のハロルドダンコさんが数曲入ったりとジャズならではのひょんな共演もあったのだが、「やったー、めっちゃ嬉しい」みたいなものはなくなってしまっている。

 

何が欠けてしまったんだろうか。。。